歴史の小箱
(第222号)三島ゆかりの芸術家たち【1】(平成18年11月1日号)
三島市郷土資料館は今年で開館三十五周年を迎えます。今回は開館三十五周年記念企画展「三島ゆかりの芸術家たち」(平成十八年十一月三日から平成十九年一月二十八日まで)に合わせ、郷土の芸術家や企画展について、三回シリーズで紹介します。
まず第一回目は、高梨勝瀞・細井繁誠・芹沢晋吾の三人です。
高梨(たかなし)勝瀞(しょうせい)(本名・高梨榮作)は、明治三十七年(一九〇四)田方郡田中村(現・伊豆の国市)に生まれます。昭和四年に京都絵画専門学校(現・京都芸術大学)を卒業後、台湾に渡りますが、台湾では一九三六年の第十回台湾美術展覧会に出品した「竹林田家」が特選となり、台湾総督府に買い上げられます。帰国後、昭和二十三年からは三島第一高校(現・三島北高校)の美術教員を勤め、昭和四十年に「摩周湖」で静岡県芸術祭賞を受賞します。なお、現在の三島北高校の校章は高梨氏のデザインによるものです。
細井(ほそい)繁誠(はんせい)は、明治三十八年(一九〇五)三島市の三ツ谷に生まれます。韮山中学(現・韮山高校)に入学しますが、磐田の中泉農学校(現・県立磐田農業高校)に転校します。卒業後は磐田在住の洋画
家・和田三造(さんぞう)に弟子入りし、大正十五年の第八回帝国美術展(帝展)に初入選、以降入選を重ねます。昭和九年頃三島へ戻り、杉本英一らと絵画グループ「十日会」を設立。また三島美術展の審査員を務めるなど、三島の芸術振興に尽力します。昭和四十七年には三ツ谷から見た夜景を描いた「暮色」で文部大臣奨励賞を
受賞。その後も新作を描き続け、昭和五十二年、七十二歳の生涯を閉じます。
芹沢(せりざわ)晋吾(しんご)は、昭和三年(一九二八)三島市の茅町(現・加屋町)に生まれました。三島商業高校(現・三島南高校)へ入学すると同時に美術部に入り、当時から画才が注目されました。昭和二十六年に自由美術協会展入選、昭和二十九年には二科展入選と数々の展覧会で入選を重ね、昭和三十七年には汎太平洋国際青年画家展に日本代表で入選を果たします。昭和四十七年にはスペイン・ポルトガルへ外遊。また三島美術展の審査員も務めます。人の生きる苦しさを描いたといわれる作風は高い評価を得ますが、昭和五十三年、四十九歳の若さで生涯を閉じました。
【平成18年 広報みしま 11月1日号 掲載記事】
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