歴史の小箱
(第223号)三島ゆかりの芸術家たち【2】(平成18年12月1日号)
開館三十五周年記念企画展「三島ゆかりの芸術家たち」(平成十八年十一月三日から平成十九年一月二十八日まで)に合わせ、郷土の芸術家や企画展について、三回シリーズで紹介しています。
第二回目は、栗原忠二・下田舜堂・杉本英一の三人です。
栗原忠二(はらちゅうじ)は、明治十九年(一八八六)久保町(現・三島市中央町)の旧家に生まれました。韮山中学(現・県立韮山高校)時代から水彩画を描くようになり、東京美術学校(現・東京芸術大学)在学中の明治四十二年(一九〇九)に「月島の月」が第十二回白馬会(はくばかい)展で東京朝日新聞の好評を博しました。
その後、イギリスに留学し数多くの風景画を描いています。しかし、長い異国での生活の中で次第に「日本人らしい絵を描きたい」と思うようになり帰国。その後は、東京荻窪のアトリエで制作活動を続け、多くの展覧会に作品を出品しました。
下田(しもだ)舜堂(しゅんどう)は、明治三十二年(一八九九)に神奈川県で生まれました。沼津中学(現・県立沼津東高校)へ入学し、大正九年(一九二〇)には、東京美術学校(現・東京芸術大学)日本画本科に入学しました。昭和三年(一九二八)には、第十回帝国美術院展(帝展)に入選しました。
終戦後は、三島市にもどり美術界での活動を続けています。第一回静岡県美術展では、最高位の知事賞を受賞。沼津精華高校(現・沼津中央高校)で教鞭(きょうべん)をとりながら、三島市や三島周辺の美術展の審査員を務めました。また、昭和四十一年(一九六六)には佐野美術館の初代館長にも迎えられています。
杉本(すぎもと)英一(えいいち)は、明治四十三年(一九一〇)、山田(現・三島市川原ヶ谷)の農家に生まれます。市ヶ原の伊豆相互貯蓄銀行(現・静岡銀行三島支店)に勤め、同人雑誌の表紙の絵を担当していました。
また、韮山出身の画家柏木(かしわぎ)俊一(しゅんいち)に師事し、昭和六年(一九三一)には第六回国画会展(国展)に初入選。その後は度々国展で入選するようになります。日中戦争のため一時召集を受けますが、除隊後は上海で絵画制作を復活。その後帰国し、自宅内にアトリエを建て本格的に画業に取り組むようになりました。昭和二十八年(一九五三)には三島市美術展の審査員として貢献しました。
【平成18年 広報みしま 12月1日号 掲載記事】
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