歴史の小箱
(第219号)大首長墓の発見 向山16号墳(平成18年8月1日号)
向山古墳群は三島市北沢及び谷田に位置し、今から約千五百年前の五世紀後半から六世紀前半にかけて築造された古墳群です。向山小学校の東側に続く丘陵上に、丸い形の円墳十二基、円形に方形がつながった形の前方後円墳一基が残されていて、県内においても大変貴重であることから、平成十一年三月、県の史跡に指定されました。ところが平成十六年六月、これまで古墳がないと思われていた場所から、もう一基の前方後円墳が新たに発見され、向山十六号墳と名付けられたのです。
発見された古墳は、向山小学校の北側の丘陵上にありました。古墳の西側や南側が道路や畑などで大きく破壊されているため、古墳の形や規模は正確にはわかりませんが、全長が約七十mほどで後円部の径は約四十mほどあるようです。いまのところ、古墳の表面を保護し荘厳に見せるための葺石(ふきいし)や、古墳を神聖な場として区画する埴輪は見つかっておりません。
埋葬施設は、後円部のほぼ中央に、南北方向に延びる形で設置されていて、二段に掘られた方形の穴の中にお棺を安置し、その周囲に平らな石を積み上げて四壁を作り、さらに石を乗せて作られた竪穴式石室と呼ばれるものです。使用されている石は、おもに中心部に板状の石、周辺部に人の頭ほどの大きさの丸い石が見られます。このことから、板石積みで作られた長大な竪穴式石室である可能性が高いと言えるでしょう。この古墳が築かれ
た年代は、出土遺物がほとんど見つかっていないのではっきりしませんが、埋葬施設と立地の特徴から古墳時代前期の四世紀代に築造されたものと考えられます。
東日本では古墳時代前期の竪穴式石室をもつ前方後円墳の発見例は少ないのですが、それらはいずれもヤマト王権と強いつながりを持つ有力な首長の墓と考えられています。向山一六号墳もそうした古墳の一つと考えられ、東駿河・伊豆地域の歴史を研究する上で、あるいは古墳時代前期における東国各地の勢力とヤマト王権との政治的関係を考える上できわめて貴重な古墳と評価できるでしょう。
現在、古墳の形と規模を確認するための調査が行われていますが、さらなる発見に大きな期待が持たれます。
【平成18年 広報みしま 8月1日号 掲載記事】
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