歴史の小箱
(第317号)楽寿園の歴史 宮様、世子様と三島高女の交流 (平成26年10月1日号)
現在の楽寿園は、もとは明治時代に小松宮彰仁親王の別邸として造られたことで知られています。小松宮は夏の避暑や年末年始などたびたび別邸を訪れており、三島の人々と交流する機会もありました。中でも三島高女との関わりは深いものでした。
明治三十二年(一八九九)に高等女学校令が公布されるなど、女子教育充実の気運が高まっていた明治三十四年(一九〇一)に創立した三島高女は、小松宮別邸の東側(現在の楽寿園正門付近)に校地として借用されていました。当初は別邸内の養蚕室を借用して一階を教室、二階を寄宿舎とし、借用は寄宿舎を新築する明治三十九
年(一九〇六)まで続きました。小松宮は三島滞在中たびたび学校を訪れるなど、三島高女へ高い関心を寄せていました。
明治時代の三島高等女学校
明治三十五年(一九〇二)の秋には生徒や職員を邸内に招待して園遊会が行われました。近隣の商店を招いて蕎麦や汁粉、菓子などがふるまわれたほか、小松宮夫妻からのお言葉もあり、生徒一同感動したことなどが新聞でも報じられています。
翌年の明治三十六年(一九〇三)二月に小松宮が亡くなりましたが、同年三月の第一回卒業式では別邸の庭園が開放されています。
小松宮が亡くなった後、別邸は明治末から朝鮮王族の李王世子垠(りおうせいしぎん)殿下のものとなります。主が代わっても三島高女との関わりは続き、大正二年(一九一三)には李王世子からの御下賜金(ごかしきん)をもとに李王世子殿下恩賜賞が制定されました。この賞は小学校から皆勤で、三島高女在学中に全学年で優等賞だった生徒に蒔絵の硯箱が与えられるというもので、大変栄誉ある賞でした。
李王世子殿下恩賜賞で贈られた蒔絵の硯箱
三島高女の校舎は大正十三年(一九二四)に宮町(現在の順天堂大学周辺)に移転しましたが、李王世子恩賜賞の授与は終戦ごろまで続きました。
【広報みしま 平成26年10月1日号掲載記事】
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