歴史の小箱
(第322号)三嶋暦と天文(平成27年3月1日号)
三島では遅くとも鎌倉時代から暦が作られており、これは「三嶋暦」(写真1)と呼ばれています。京都の朝廷ではなく、地方で作られる暦としてはとても古く歴史のあるものです。
昔の暦は太陰太陽暦といって、月と太陽の運行に合わせて決められていたため、正確な天文の知識が重要視されていました。
そのため、暦にも天文に関係する記述がたくさんあります。そのいくつかを紹介します。
(一)日食・月食
日食・月食の予測は暦を作るための天文知識が正確かどうかを判断する際に非常に重要視されました。「日そく(食)五分」(写真2)、「月そく(食)皆既」(写真3)など、十分の一単位で予測されていました。江戸時代後期には、これらの予測はほぼ正確になされていたと言われています。
(二)冬至・春分・夏至・秋分
現在でもなじみの深いもので、太陽の運行と関係のあるものです。特に冬至(江戸時代終わりごろは春分)は一年を計算する基準の日として重要視されました。
また、これらは二十四節気というものに含まれるもので、季節を表すと同時に、冬至があるのが十一月、というように月の順序を決めるものでもありました。
(三)「立表測景定節気者」
暦の最後に書かれる決まり文句(写真4)で「表」とは太陽の影の長さを測る棒で、棒を立てて影(景)を測って暦を作った、というような意味になります。
それは影が一番短くなる冬至の日を暦の計算の基準にしていたためで、江戸時代の終わりごろに春分を基準にするようになると、この文句は書き入れられなくなりました。
【広報みしま 平成27年3月1日号掲載記事】
歴史の小箱(2014年度)
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