歴史の小箱
(第318号)楽寿園の歴史 懐かしの風景 (平成26年11月1日号)
小松宮家別邸であった小浜の地は、李王家、緒明家の所有を経て市立公園「楽寿園」となります。昭和二十六年(一九五一)、三島市制施行十周年記念行事案として緒明邸の一部を市立公園にするという構想が持ち上がり、昭和二十七年(一九五二)七月十五日に市立公園「楽寿園」が開園しました。開園後の二日間は無料開放し、約二万六千人が入園しました。
その後、遊具の設置や動物の飼育が行われるようになりました。動物の飼育は、園内で保護されたタヌキをタライに入れて見せたのが始まりといわれています。次第に、ニホンザル・クジャク・アナグマ・鹿・ライオンなどが飼育され、昭和二十九年(一九五四)にインドゾウ(ふじ子)が、昭和三十三年(一九五八)にはケニアからキリン(いずみ)がやってきました。遊具はロケット飛行塔・木馬・豆自動車・キャタピラー・空飛ぶ円盤などが設置されました。
催物館では、多彩なイベントが行われ、娯楽施設として賑わいました。「アフリカ探険」では、草原、沼、ジャングル、原住民やカバ、サイ、ワニ、ゴリラなどを実物大の張子で作り、アフリカの山野のように見せました。「海底と秘境探検」では、エジプト王室やポンペイ遺跡、深海魚と大イカ、海底火山などを制作しました。
楽寿園は庭園だけではなく、遊園地・動物園が融合した娯楽施設として賑わいました。
現在でも行われている「菊まつり」は開園当初から行われており、昭和四十年代頃までは菊人形が作られていました。菊人形は全十二場面ほどの構成で、菊人形を作る菊師、セットを作る歌舞伎の大道具係、小道具係を呼ぶなど大掛かりなものでした。
その後、三島の「菊人形」は次第に有名になり、県外からも観光客が押し寄せるほどになりました。菊人形が制作されなくなった後も、人形を見たいという人は後を絶たず、菊人形に代わるものとして現在の「大型菊盆景」が作られました。
遊具(キャタピラー)
アフリカ探検
昭和30年代頃の菊人形展の様子
【広報みしま 平成26年11月1日号掲載記事】
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