歴史の小箱
(第319号)奈良から来た三嶋大社の神鹿 (平成26年12月1日号)
今も多くの人々に親しまれている三嶋大社の神鹿は、大正時代に奈良の春日大社からやって来ました。今回は、この神鹿について紹介します。
三嶋大社の神鹿園は大正八年(一九一九)に三島呉服木綿商組合の尽力によりつくられました。今回、かつて大社町にあった「恵澤屋呉服店」の米山良博さんに当時の資料を見せていただきました。
大正八年(一九一九)から九年にかけて、現在の文教町に陸軍野戦重砲兵第二・第三連隊が移設され、同じ頃、丹那トンネルの工事も始まり、町の発展に大きな期待が寄せられていました。神鹿園設置の趣意書にも人口が増加し産業化が進む中で、その発展をより顕著なものとするために奉納したい、と記されています。
奉加帳(冒頭部)
奉納のための活動は大正八年(一九一九)に入ってから本格化したようで、一月二十六日に組合と三嶋大社との間で、奈良の春日大社の鹿を譲り受ける件について協議されています。二月に入ると組合の代表者が春日大社へ出張して鹿を譲り受けるための交渉が行われ、その後、二月十四日には金二十五円が幣帛料として春日大社へ納められています。
神鹿園の施設は三月上旬には完成したようで、二十二日には組合員の付添いのもと奈良から三島へ無事に鹿が到着しました。
当日は「神鹿飼報告祭」が行われ、宮司の祝詞、町長や献納者の拝礼などの後、鹿が放たれました。神楽に対する寄付や煙火代金などの支出記録があり、祭典は盛大に行われたようです。現在でも三嶋大社では三月二十二日に神鹿記念祭が行われています。
経費の大部分は寄付金で賄われました。寄付者の住所は東京日本橋、静岡市、浜松市が多く、呉服問屋などの取引先と思われる人々から多数の寄付があったことがわかります。また、昭和二年(一九二七)の記録ですが呉服木綿商組合には十五の呉服商が加入していました。
今回見せていただいた資料からは、神鹿園が作られた経緯を通して、三島の呉服商の活発な商取引をもうかがい知ることができるもので、当時、三島のまちが大きく発展していこうとしていたことを示す貴重なものといえるでしょう。
神鹿園の鹿
【広報みしま 平成26年12月1日号掲載記事】
【令和元年5月24日 連隊移設の年を加筆修正しました。】
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