歴史の小箱
(第331号)三島のまつりの今―ヤッサモチ・佐野―(平成27年12月1日号)
ヤッサモチは佐野地区中最寄(地区は上・中・下最寄に分かれています)の山神社のまつりです。
このまつりの一番の特徴である餅つきは、もともと一月十六日の夜中に行われていましたが、サラリーマン家庭が増えたことなどから、二十年ほど前からその付近の土曜日に行われるようになりました。
まつり当日の夜、その年の当番の家に男性たちが集まり餅をつきます。「ヤッサヤッサ」の掛け声を上げながら、背丈ほどもあるヒメシャラの棒を杵にしてついていきます。餅つきは、一回目は午後八時ごろ、二回目は午後十一時過ぎの二回に分けて行われます。
餅つきの後、一回目についた餅を鏡餅に整え、それを先頭に最寄内を「ヤッサーノヤッサー」と声をかけながら回り、最後に山神社に奉納します。翌日は朝から山神社のまつりが行われ、各家には残りの餅を切り分けたものが配られます。
ヤッサモチには数百年の歴史があるとも伝えられていますが、近年はほかの多くの伝統行事と同様、その催し方に変化が見られます。
まず、参加者ですが、昔は中最寄全体で行われていましたが、新しい住民が増えてきたこともあり、現在は約四十戸ある山神社の氏子が、講(寺社参詣などの宗教行事などを行うための団体)を作って行っています。当番の家はこの講の中で回していきます。約四十年ごと、ほぼ一世代に一回当番が回ってくる大きな行事です。
まつりの様子もずいぶん変わったそうです。昔は餅つきの際、臼を転がしたり、わざと泥や煤を餅に付けていました。汚くなった方がよいとされ、家畜に食べさせるなどしていたようです。現在はそのように汚すこともなく、二回の餅つきで白くきれいな鏡餅がふたつ作られるようになりました。
【広報みしま 平成27年12月1日号掲載記事】
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