歴史の小箱
(第398号)地域の歴史―長伏―
今回は長伏(ながぶせ)地区の歴史と松毛川(まつげがわ)を紹介します。
長伏は、西側を流れる境川を挟んで清水町と接し、南を流れる狩野川を挟んで沼津市大平(おおひら)と接する三島市の南西の端に位置する集落です。この地名は室町時代以降の文献で見ることができ、「長布施」と書かれることもありました。江戸時代中頃に本長伏村・新長伏村と二つに分かれたことがあるようですが、江戸時代後期、天保の頃にはまた一村に戻ったようです。
狩野川と境川の合流部にあたる長伏に住む人々は、幾多の洪水・氾濫により、永く暮らしを脅かされてきました。水がつくたびに牛や馬を連れ、集落の中で最も標高の高い鍬戸(くわと)神社へ避難しています。水に囲まれ屋根を突き破って逃げた、いつ水がきてもいいように二階に寝かされたなど、そんな話が伝わっています。こうした洪水のため、長伏の米の収穫量は少なく、農民は貧しかったといいます。しかし、昭和初期から堤防の強化や河川改修が始まり、水害は少なくなりました。特に狩野川放水路の建設により、狩野川の水を排水できるようになってから大きな水害はなく住みやすくなったといわれています。
長伏には狩野川の旧河道である「松毛川」と呼ばれる短い川があります。長伏に接する狩野川の湾曲部に捷水路(しょうすいろ/河川の氾濫の原因である蛇行部を直線化するために設けられた人工水路)が引かれたのは昭和12年のことです。この工事によってかつて狩野川の一部だった松毛川は、三日月形の「止水域」になりました。
さて、この松毛川の名前の由来は、御園、松本との境にある長伏の小字「松毛」に由来していると思われます。また、沼津側の名称「灰塚川」も沼津市大平の小字が由来となっています。
中郷郷土史研究会によると、松毛川を通称「マツゲノオンダシ」といい、川漁の穴場であっといいます。「オンダシ」とは「押し出し」の訛った言い方です。土砂が押し出された地など、災害が多い地域の地名に使
われていたりしますが、ここは単純に狩野川から押し出された水がたまった場所というような意味でしょうか。
松毛川の上流は湖沼化しており(三日月湖とも呼ばれる)、下流には狩野川との間に水門が設けられています。このような地形のせいもあり、水質はほかの河川と比べてやや悪くなっていますが、巨木が密植する河畔
林と水辺空間は、狩野川の原風景であり、貴重な自然が残っています。
【広報みしま令和3年7月1日号掲載記事】
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