歴史の小箱
(第396号)石造物は語る―中島―(令和3年5月1日号)
まちなかでふと道の傍らに目を向けると、神仏の姿や文字が彫られた石造物を見かけることがあります。郷土資料館では平成28年度からボランティアの皆さんと共に中郷地域の石造物調査を進めています。今回は中島
地区の石造物を紹介します。
中島地区では、左内(さない)神社、真明院(しんみょういん)に石造物が集中していました。石造物の数は25基と少なく、比較的新しいものが多いです。特に左内神社の石造物は、大正4年の社号碑が一番古く、大正時代以降に建てられたものばかりでした。これは火災により明治20年に現在地へ移転した影響だと思われます。右内(うない)神社と共に三嶋大社の御門の守護神を祀る左内神社は、元々現在の静岡県企業局東部事務所柿田川支所の付近に鎮座しており、事務所前には記念碑が建っています。
中島の明治時代以前の石造物の多くは真明院で確認できました。そのうちほかの地域でもよく見られる種類
の石造物を二点紹介します。
まずは真明院の境内入口左側にある「南無阿弥陀仏」と刻まれた高さ2メートル程ある石碑です。これは「唯
念名号碑(ゆいねんみょうごうひ)」と呼ばれている石造物です。唯念上人は江戸時代末期から明治初期に活躍した名僧です。上人は91歳の生涯の後半生をかけて駿河・伊豆・相模の村々を巡り、仏の道を説き、名号「南無阿弥陀仏」を記した書を渡し、念仏講(蓮華講)を組織しました。この碑はこの地域の蓮華講のメン
バーが嘉永3年(1850)10月に建てたものです。唯念名号碑は三島市近隣だけでも150基以上あり、市内でも現在14基確認されています。
次にその隣にある石碑を見ていきましょう。先程の石碑と比べて高さ約80センチと小さくシンプルな形の「巡拝塔(じゅんぱいとう)」です。天明4年(1784)に建てられたもので、右側面には「四国西国坂東秩父駿豆両国 奉順礼供養塔」と刻まれています。江戸時代、霊場(れいじょう/宗教的な霊験があるとされる地)巡礼が流行し、代表的なものに「四国霊場巡礼」や「観音霊場巡礼」(西国・坂東・秩父等)があります。また、手軽に巡礼できる近場では「駿豆横道(すんずよこどう)」(両国横道ともいう)もあります。巡拝塔は巡礼達成を記念して建てられるものです。この巡拝塔を建てた人はそのすべてを巡ったのでしょうか。
石造物と言っても色々な種類があります。石造物の建てられた目的や刻まれた文字、神像の意味などを知ることで地域の歴史や石造物の魅力を発見することができます。
【広報みしま 令和3年5月1日号掲載記事】
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