歴史の小箱
(第399号)石で作られた祭祀の道具―大進舎遺跡―
今回は、開催中の企画展「三島のはじまり 旧石器~古墳時代」の展示資料の中から、石で作られた祭祀の道具を紹介します。
南二日町インターチェンジ交差点の北側には、大進舎遺跡(東本町)という、弥生時代から古墳時代にかけての遺跡があります。
平成二十四年、店舗建設工事にともなって発掘調査が行われ、古墳時代中期の地層から、勾玉や大量の土器とともに、「石製模造品(せきせいもぞうひん)」がまとまった状態で発見されました。
石製模造品とは、軟質の石で作られた供物(くもつ)の模造品の総称で、本物より小さいサイズで平たく作られています。主な形状に、有孔円板(ゆうこうえんばん)、剣・鏃(やじり/矢の先端)などの武器類・斧・鎌などの農工具類、勾玉などの玉類があります。古墳時代中期にあたる五世紀ころから各地で見られるようになりました。
当時の人々は、祭祀を執り行う際、本物を供える代わりとして、この石製模造品を供えていたようです。古墳の副葬品として見つかるほか、水辺や岩場、住居跡などで発見されており、葬送儀礼・豊穣祈願・家内の祈
りなど、さまざまな祭祀に対応する道具だったのでしょう。いずれも小さな穴があいていることから、この穴に紐を通し、木の枝に吊り下げて使っていたのではないかといわれています。
大進舎遺跡からは、有孔円板・剣形模造品・勾玉形模造品の三種が見つかりました(写真参照)。有孔円板というのは、石製の円板に1~2の穴をあけたものです。鏡の模造品と考えられていますが、紡錘車(ぼうすいしゃ/糸つむぎの器具)や璧(へき/中国の玉器で、平たい円板の中央に孔あなをあけたもの)の模造品とみる説もあります。
▲大進舎遺跡から見つかった石製模造品
石製模造品が発見された地層からは、同じく祭祀に使われたと推測される勾玉や土器のほか、住居跡らしきものが一カ所見つかっただけで、他にはなにも検出されませんでした。そのため、この時期、この場所では祭祀行為のみが集中して行われていたのだろうといわれています。
当時の人々はこの地で一体、どんな祭祀を行っていたのでしょう。実物を見ながら想像してみるのも楽しいかもしれません。
(広報みしま令和3年8月1日号掲載記事)
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