歴史の小箱
(第78号) ~重量を計る器具~ 棹秤【さおばかり】 (平成5年12月1日号)
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秤【はかり】は重量を計る器具の総称で、近世まで、東洋においては天秤と棹秤の二種が使用されていました。「はかり」という言葉は和語で、呉国(中国)に派遣された上毛野久比が持ち帰り、崇峻天皇に「万物をかけ定め、交易に使う波賀理というものです。」と答えたことに由来すると伝えられます。
江戸時代には、秤の精度保持と「似せ秤」を取り締まるため、江戸秤座守随【しゅずい】氏、京都秤座神【じん】氏によって、「秤改【はかりあらため】」が行われていました。両家は、江戸幕府成立とともに、 幕府より秤の製造販売の特権を与えられた二大秤座で、守随氏の東国三十三カ国、神氏の西国三十三カ国という販売等の分担が決められていました。
写真の秤は、守随氏販売及び改の棹秤で、真鍮の皿の中央に「御秤屋天下一守随(花押)」の刻印が読み取れ、三島(伊豆国)が守随氏の勢力圏にあったことが分かります。
棹秤を使っての計量は、棹の一端(皿の上)に品物を載せ、把手を支点に分銅を移動し、棹が水平になった時の目盛を読んで重さを計ります。棹秤の構造は昔のものも今日のものにも大差はありませんが、秤量や用途によって多くの種類があり、大きいものでは32貫(約120㎏)も計ることのできる千木【ちぎ】があります。
本品の棹秤では、把手に元緒、中緒、末緒と三つの支点があって、それぞれ15匁(約56g)、50匁、160匁の品物を計ることができます。
(広報みしま 平成5年12月1日号掲載記事)
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