歴史の小箱
(第69号) ~昔の暖房器具いろいろ~ あんか(行火) (平成5年3月1日号)
寒い季節です。暖房器具が必要です。現在は家の構造も西洋的になり、最も進んだ暖房法のセントラルヒーティングなどは、スイッチ一つで家中が暖かくなるし、家の中で火を燃やしたり、炭の補充をしたりという手間も苦労も必要でなくなりました。ところが、一昔前までは、囲炉裏【いろり】の火を絶やさないようにとか、行火【あんか】に炭を入れるとか、火鉢【ひばち】に炭を補充するとか、冬の暖房をとるためのさまざまな工夫と生活の知恵がありました。
囲炉裏はもっとも初期の暖房設備でした。囲炉裏を囲んで家族が集い、暖をとり、食事をともにとるなど、囲炉裏のある部屋は家の中心の重要な場所を占めていました。つまり、火のあるところに人は集います。囲炉裏の火が人と人を結び付ける役割を果たしていたものです。
あんか(行火)や火鉢は、囲炉裏から一歩進んだ暖房器具と言えるでしょう。すなわち、それまで家族が共有していた暖房を分割して、個人が別の場所で使用することができるようになったからです。このことは、従来の家が分割されて、複数の個別の間取りを持つようになったこと、そして家族がおのおの個別の生活を持つようになったことと関係があります。
また、懐炉【かいろ】は日本が生んだ「火の文化」の傑作と言われます。それは、ヨーロッパ文化には見られない究極の、個人的な暖房の個人所有の形態だったからです。
しかし、日本で、暖房の火の所有が完全に個別化されたかというと、そうではありません。
こたつの普及は、囲炉裏文化の変形だと言われます。すなわち、一つのこたつを囲んで人が集い、暖を取りながら交流を深める生活形態は、まさに囲炉裏時代の延長と言えるでしょう。フトンの中に入れて、足を暖めるあんか(行火)は、こたつの原形でした。
(広報みしま 平成5年3月1日号掲載記事)
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