歴史の小箱
(第65号) ~初宮参り~ ヒャクヒトエの晴れ着 (平成4年11月1日号)
一重【ひとかさ】ねの子供の着物を、寄贈していただきました。
一重ね。すなわち下着となるジュバンと着物、着物と揃いの袖無しのチャンチャンコの三点です。
着物の素材は絹。それぞれが綿入れになっています。柄は着物とチャンチャンコが「日の丸の扇子と兜【かぶと】」が描かれた同一の柄。揃いです。
この一重ねの着物はヒャクヒトエの祝い着として作られ、使用されたものです。
伊豆地方には、誕生から百日目あるいは百一日目をヒャクヒトエといい、初宮参りをする習俗があります。
お宮参りには、実家から届けられた祝いの着物を着せて出かけます。着物は紋付で、柄には「鯉【こい】」とか「日の出」などのおめでたいものが描かれていました。男の子も女の子も、広袖の着物で、背中には背守【せもり】がついていました。(伊東市富戸の場合)
生児は、おばあさんが抱いたり背負ったりして行く例もありますが、伊豆では母親が抱いて行く地域が多いようです。
出産後百日が過ぎなければ、産婦はお宮参りをしてはならないといわれていますから、ヒャクヒトエは母と子の忌が完全に晴れてからのお宮参りなのです。
ヒャクヒトエの儀式のように、人は誕生から死に至るまでの長い生涯を、いくつかの節目節目を通過しながら成長を遂げ、人生を全うします。こうして行う儀礼を人生儀礼といいますが、誕生祝とともに、人生のスタートラインに始めて立つという点で、ヒャクヒトエは極めて意味のある行事です。
この後、子供は三つ、五つ、七つと成長の祝い(七五三)を通過し、大きく育ちます。そして、昔は「元服式」を済ませて大人の仲間入りをしたものですが、現在では二十の「成人式」がそれに変わりました。
こうした特別な時の着物を晴れ着と称します。
(広報みしま 平成4年11月1日号掲載記事)
歴史の小箱(1992年度)
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