歴史の小箱
(第60号) ~中世の武士が使った~ 「煙管【きせる】」 (平成4年6月1日号)

郷土館3階に展示中の煙管は、山中城跡から発掘された銅製の戦国時代のものです。長さは16センチ、吸い口から火皿まで1本の銅、火皿部分が大きくラッパ状に開いた初期形態の特徴を持った煙管です。果たして誰がこの煙管の所有者であったのか、戦のさなかにどんな気持ちで煙草を楽しんだものなのか、想像は天正時代(16世紀)にまで逆上がって、膨らみます。
日本に煙草を持ち込み、喫煙の風習を流行らせたのは、一説によればヨーロッパ人で煙管もそのころに渡来したものであるとされますが、正確なところは明らかでありません。しかしそうだとすれば、ポルトガル人が種子島に鉄砲を伝来させた15世紀ごろということになり、山中の合戦に来ていた武士の中に、愛煙家がいたとしても不思議ではありません。それにしても、出土したたくさんの武器類に混じって煙管とは、なんともアンバランスなのどかさを感じさせられます。
江戸時代に入ると、武家をはじめ、一般庶民にも喫煙の習慣が流行します。元和・寛永のころ煙草の流行に伴い、遊侠【ゆうきょう】の徒の間には鉄製の長い煙管を腰に差したり、これを下人に持たせる喧嘩煙管の風があったといいますが、これなどは煙草が「粋」を象徴するものであったからでしょう。
喫煙の風習の定着によって煙管、煙管入れ、煙草入れ、根付け、あるいは家の中で吸うための煙草盆などの喫煙用具類が、様々な工夫と自由奔放な意匠を凝らした工芸品に発達します。煙管は、いわゆる舶来品の道具と風習が、見事に日本的に消化されて取り入れられた道具の典型といえるでしょう。
また、後世、煙管のラオ(吸い口と火皿の中間の管)に、箱根のしの竹が盛んに利用されたということも特筆すべき事柄でしょう。
(広報みしま 平成4年6月1日号掲載記事)
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