歴史の小箱
(第67号) ~宿場の時を告げる~ ほら貝 (平成5年1月1日号)
浮世絵師・廣重の東海道シリーズ「三嶋」の中に、三嶋明神前でほら貝を吹く男の図があります。
男は大地に両足を踏ん張り、天に向かってほら貝を吹いています。少し離れた所に仲間らしい2人の男と、2匹の犬。西の空に夕日が見えることから、宿場の夕暮れ時なのでしょう。このほら貝を吹く男は誰で、何のために吹いているのでしょうか。むかし、ほら貝は、山伏の峰入り修行に際する楽器として、あるいは村役人の合図の用具として用いられることが常でしたが、この場面からは、男は三島の宿中に夕刻を告げている宿場役人だと思われます。
ところで、当時(江戸末期頃)の夕刻とは現在の何時に当たるものか想像できますか。
天保年間に、人々の昼と夜の生活時間を規定した時刻法が定められました。不定時法といいます。それまでは今と同じような、九つ時(暁の12時)から九つ時(夜の12時)までの、1日を24等分したいわゆる定時法を採用していたものでしたが、それを、不定時法では夜明けから日没までの昼間と、日没から夜明けまでの夜間とに分けて考えるようにしました。つまり、人々の生活習慣に合わせた俗用時を使い始めたのです。このような考え方の基には、当時の日本人には昼間は人の1日、夜は神様の1日という考え方があったからです。不定時法になって、人々は夜明けの時の鐘を聞いて1日の始まりを知り、夕暮の時の鐘で1日の終わりとしたのです。ところがこの時刻法では、1年間の昼夜の長さが一定ではありませんから、夏と冬の場合などは同じ夕刻にも、かなりの時間差が生じたものでした。したがって、この絵の季節が判らないことには、その時刻も正確には判明できません。
1枚の浮世絵から、時の鐘やほら貝の音で時を計る、江戸時代の三島の人々の暮らしが浮かんできます。
(広報みしま 平成5年1月1日号掲載記事)
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