歴史の小箱
(第63号) ~江川担庵の描いた~ 幕末の下田港 (平成4年9月1日号)

絵は紙本墨書【しほんぼくしょ】高台から港を望遠する角度で描かれています。海岸線近くには帆を降ろして停泊している2そうの船。はるか遠くにも帆を揚げて遠ざかる2そうの船。絵で見る限り下田港は平穏で、ここが幕末動乱の渦中にあった重要な港であることは想像できません。
安政元年(1854)、下田では大きな事件が矢継ぎ早に勃発し、その名が世界中に知られることになりました。
同年1年16日。前年に続いて、ペリー率いるアメリカの黒船艦隊が金沢沖(神奈川)に2回目の渡来。下田警備を任ぜられていた担庵は、この知らせを下田より受け、江戸へ急行。幕府からは、アメリカ船の江戸近海への進入阻止を命ぜられました。
同年3月28日のこと。長州藩士吉田松陰は、ペリーの船に乗って海外渡航を企て失敗。下田で逮捕、という事件が起こりました。
同年11月4日、安政の大地震発生。折しも下田停泊中のロシア使節プチャーチン一行の乗艦ディアナ号が、津波を受け大破。これを修理するため、戸田へ回航の途中、今度は大波を受け座礁。この知らせを聞き、担庵はロシア人の救助、乗組員を戸田へ移送することを命じました。
この時、帰国の足を奪われたロシア人に、戸田造船所製の君沢型洋式船「戸田号」を贈呈したのも担庵の命によるものでした。
担庵の描いた「下田港]は、こうした大事件を知らぬかのように穏やかです。
(広報みしま 平成4年9月1日号掲載記事)
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