歴史の小箱
(第22号) 水の都・三島を証明する絵図 (平成元年4月1日号)
郷土資料館では、三島宿東境の新町橋から西の沼津宿境の日吉村(現在の沼津市日吉)までの東海道沿いを描いた一枚の絵図を展示しています。絵図は江戸時代のもので、一本の太い東海道往環とそれを横切る川と橋を描き、街道に沿った町名を書き入れたものですが、多くの歴史を語っています。
細長い絵図の中から、特に三島の宿場部分を解説してみましょう。
二本の象徴的な川が三島の宿場の境川となっています。
かつての三島の東境は、新町橋のかかる「かんがわ(神川)」(大場川)。三島宿最初の町は、新町です。上り(京行き)の旅人は、この川を渡り終わって町に到着した安賭感を覚え、反対に下り(江戸行き)の旅人は、山(箱根の雉所)にさしかかる緊張感を覚えたものでしょう。
新町側の宿場境には桝形が設置されていました。石塁を組み、大木戸を立てて、明け暮れの六つ時には開閉したものだそうです。ここは軍事的にも要しょうの地点でした。
西の境は文字通りの境川。それにかかる橋も境川橋です。湧水を集めた細い流れは狩野川に注ぐ支流。この川は伊豆と駿河の国境でもありました。小浜(楽寿園)の水を駿河に送る「千貫樋」は、国境の象徴的な建造物です。
以上の二本の川に囲まれて三島の宿場がありました。街道に沿って十一町。東から新町・長谷町・伝馬町・久保町・小中嶋町・大中嶋町・広小路・六反田町・茶町・木町・茅町と並び、三嶋宮以東の三町を除いたそれぞれの町がやはり川を境に区画されています。桜川にかかる橋は不二見橋。現在の三嶋大社西側(北口入口)で富士のよく見える場所でした。御殿橋は田町入り口の御殿川に架かります。本町交差点から西の六つの橋は、いずれも小浜の湧き水を源とする川に架かる橋です。四宮橋、源平橋、ハナカケ橋という名前が読めます。
昔の地図で見ても、三島は水の町だったことがわかります。
(広報みしま 平成元年4月1日号掲載記事)
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