歴史の小箱
(第25号) 庶民の知恵とユーモアの結晶 「田山暦」 (平成元年7月1日号)
伝統ある三島暦師の河合家の古文書の束の中から、少々虫くい穴のある、細長く折った暦らしいものが発見されたとき、発見者たちはこれが暦であるかどうかの判定に迷いました。それには、木版刷りの絵のようでもあり、記号のようでもある解読不能な模様が描かれていて、彼らが見慣れていた三島暦の細くて美しい文字模様とは明らかに異なっていたからでした。
結局、「文字を読めないものが多かった時代の農民暦(絵暦)か」という答えが、この新発見資料に対する当時の考察の結果ときれました。
この絵暦を「田山暦」といいます。岩手県安代町の田山という所で、善八という者によって創作されました。現存する最古の田山暦は、天明三年(1783)のものですが、郷土資料館所蔵のものは、それより後世の天保十五年(1844)の暦です。しかし、現存する田山暦の実物は全国でも十点そこそこ確認されているに過ぎず、極めて貴重な暦の一つとして関係者に知られています。従来、田山暦は、橘南谿(なんけい)の 「南部の辺鄙(へんぴ)にはいろはをだに知らずして盲暦というものありとぞ」(『東遊記』寛政年間刊)というくだりから、文盲暦だと考えられてきました。
しかし現在では、その説は誤りであるとされます。むしろ、創作者の善八や当時の南部の庶民のユーモアを解する心から生まれたものではないだろうかと考えられるようになリました。
どのように解読するのか、試みに最初の一行を読んでみます。円形に雲の絵は太陽と雲を表し「天」、舟の帆は「保」、丸に十文字は「十」、棒五本で「五」、次の絵は龍で十二支の「辰」、最後の絵は農具のトーシで「年」と読みます。続けて読むと「天保十五辰年」となります。つまり一行目は、この暦の年が書いてあるわけです。
文字文化に慣れている現代人には解読が難しいのに、旧暦の知識が基本にあり、かつユーモアを解する江戸時代の庶民には当然の知恵だったのでしょう。
(広報みしま 平成元年7月1日号掲載記事)
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