歴史の小箱
(第29号) 古代人の生活を想像させる 吊手土器 (平成元年11月1日号)
縄文特有のダイナミックな装飾が施され、浅い小型の鉢には不似合いなほど厚手で大きな吊手のついた土器。観音洞遺跡から発掘された吊手土器は、見れば見るほど不思議で、古代人の生活をあれこれと想像させてくれます。
吊手土器は約4千5百年前の縄文時代中期の土器です。吊手つきの特殊な器形のため、早くから考古学者の関心を集めていました。「吊手は、明らかに土器を吊って使用したもの、すると、用途は灯火器であろうか。防虫香炉であろうか」など、様々な使用法についての推理がなされましたが、ついに断定はされませんでした。
観音洞出土の吊手土器は、内面にはすすが付着して、火気使用の痕跡をとどめていました。やはり灯火具なのでしょうか。土器発見の場所は、竪穴住居中央炉付近でした。調査者たちは、灯をともした呪術的な祭器ではないか、と推測しています。
吊手土器の使用法が、あまり明らかでない理由は、その発見例がそう多くないことにもあります。静岡県内での発見は裾野市の細山遺跡、大仁町の仲道A遺跡での出土例があるだけでした。観音洞は県内三番目の発見ということです。
ところで、この土器が発見された観音洞遺跡とは、どのような所だったのでしょうか。場所は箱根山西麓の中ほど、国道一号線から北へ入った元山中集落の東側です。展望よく、西は富士方面、東は田方平野が一望できます。この遺跡から出土したそのほか多くの遺物によるとこの地では、約2万7千年も前の先土器時代から人間の生活が様々に繰り広げられてきたことが判明しました。ある時代には、狩猟・採集の場、またある時代は居住地として、ここが古代人の生活の場として、極めて好条件を備えた土地だったことを物語っています。
(広報みしま 平成元年11月1日号掲載記事)
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