歴史の小箱
(第24号) 昔の衣生活をしのぶ ハタゴ (平成元年6月1日号)
織物を作る級機を「ハタゴ」と呼んでいました。一昔前までは一家に一台は備えられ、ハタオリは女の仕事として盛んに織られていたものです。それが機械化による衣料の大量生産の時代になると「ハタゴの置き場所がない」とか「家の中で場所ばかりを占領する邪魔者」などと言われる立場に逆転してしまいました。
郷土資料館二階に展示している高機は、昔の大役を柊えた一台のハタゴです。
高機はハタゴの一端に腰を掛け足で踏み木を動かし、綜絖(縦糸をつっている部分)を上下きせ杼道(横糸を通す空間)を開かせるもので、従来の地機を改良した新鋭機でした。「トントン、カラリ」と調子よく謡われるハタゴを操る音は、筬を打つトントンという音と杼が縦糸の上を滑るカラリという音が軽快に繰り返きれる音を合わせて表現したものです。高機は、便利さゆえに上機、大和機、京機などとも称されるほどの全国的な普及をみました。
これに対して地機は、織り手が地面に腰をおろしてハタゴを操る形のものでした。この型式の起源は古く、恐らく原始時代から基本形は変わらなかったであろうと考えられますが、残念なことには地機の完全な形を伝えるハタゴがありません。郷土資料館では、修善寺町堀切地区で発見された唯一の地機の杼を展示するのみです。それはカラリと音のする小型の投げ杼ではなく、横糸を通した後に筬の役目も果たす素朴で大きな杼です。
古老の言い伝えに「糸きれ三寸縄五寸」という言葉があります。わずか三寸(約十センチ)くらいの糸でも大切にしなさいという教えだそうです。また、模範的な農家の嫁を指して「ハタもよく織る、田もよく植える、三十三把の稲もこく」などといい、働き者をほめたものだと聞きました。
いずれの伝承もハタゴが大いに働いていた時代のものでしょう。
(広報みしま 平成元年6月1日号掲載記事)
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