歴史の小箱
(第302号)青木原遺跡出土小銅鐸 (平成25年7月1日号)
図1の小銅鐸は、南二日町の青木原遺跡で出土したものです。
図1青木原遺跡出土小銅鐸
図2青木原遺跡発掘現場
青木原遺跡は平成二一・二二年に御殿川の河川改修工事のため、静岡県埋蔵文化財センターにより発掘調査されました。小銅鐸は、御殿川の旧流路から銅釧(銅製の腕輪)と共に出土したもので、弥生時代後期(二世紀末)から古墳時代前期(三世紀後半)のものと見られます。大変保存状態が良く、表面に摩滅が見られないこと
から、河川に関わる何らかの祭で埋納された可能性が考えられています。
高さ十二.六センチメートル、最大幅六.九センチメートルと小さなものですが、青銅製で、吊り手とひれの文様帯や身の帯模様の表現、型持孔などから「突線鈕式」と呼ばれる銅鐸の小形品、あるいは模倣品と見られています。銅鐸を鳴らすための棒状の「舌」は出土しませんでしたが、裾の内面に突帯と呼ばれる溝が巡らされていますので、音を鳴らすことが出来たことがわかります。
このような小銅鐸は国内では四十例ほどしか出土していない大変珍しいもので、静岡県内では七例が知られていますが、この中で最も大きく、文様の美しいものです。
銅鐸は弥生文化の代名詞と言える有名な青銅器です。表面に描かれた文様や絵画から、実用品ではなく農業に関わる祭やまじないに用いられたと考えられています。中には抱えきれないぐらい大きいものもあり、居住地から離れた山の斜面に掘られた穴に埋納されることが多いことから、村落共同体全体の所有物であったと考えられ
ています。
一方、小銅鐸は高さ一〇センチメートルほどで、大きさが極端に異なります。お墓に副葬品として埋められている例や住居跡から出土する例が多いことから、銅鐸と異なり個人の所有物で、おそらく、祭祀をつかさどる地域の首長やそれに準じた人が身につけていたものでしょう。
郷土資料館のリニューアル展示では、市内から出土した唯一の青銅品でしかも優品であることから、小銅鐸を所蔵している静岡県埋蔵文化財センターより借受け、そのレプリカを作成して展示する予定です。(平成26年8月現在3Fにて展示中)
【平成25年 広報みしま 7月1日号 掲載記事】
歴史の小箱(2013年度)
- (第310号)近代化を支えた三島の製糸関係資料 (平成26年3月1日号)
- (第309号)暮らしを彩った機械たち(その2) (平成26年2月1日号)
- (第308号)暮らしを彩った機械たち(その1) (平成26年1月1日号)
- (第307号)郷土資料館展示紹介 伊豆半島・富士山と三島の湧水 (平成25年12月1日号)
- (第306号)三島に伝わる史跡や伝説 (平成25年11月1日号)
- (第305号)弥生時代のコメ作りのムラ西大久保遺跡 (平成25年10月1日号)
- (第304号)家政女学校と実践女学校 (平成25年9月1日号)
- (第303号)困難を極めた丹那トンネルの工事と開通 (平成25年8月1日号)
- (第302号)青木原遺跡出土小銅鐸 (平成25年7月1日号)
- (第301号)寺子屋や漢学塾から受け継がれた三島の教育 (平成25年6月1日号)
- (第300号)稲を生活に利用するわら製品 (平成25年5月1日号)
- (第299号)宿場の仕事を課せられた助郷の村々 (平成25年4月1日号)