歴史の小箱
(第307号)郷土資料館展示紹介 伊豆半島・富士山と三島の湧水 (平成25年12月1日号)
三島市郷土資料館では、伊豆半島ジオパークの一つ、富士山と三島ジオサイトのコーナーを二階の三島の暮らし体験学習室に新設しました。今回はこのコーナーをご紹介します。
伊豆半島は二千万年以上前に南海の海底火山群として誕生し、北上を続けていきました。現在は中央部に天城の山々を抱える伊豆半島ですが、海の生物の化石が多数採取されていることがかつて海底だったことを証明しています。
三島溶岩の成り立ち
展示では伊豆市下白岩で採取した「レピドシクリナ」や「サメの歯」など南の海に生息していた生物の化石や三、四百万年前、伊豆が北上して寒流の影響を受けるようになった頃の「ホタテ貝の仲間」の化石を紹介しています。
ホタテ貝の仲間の化石
その後、約六十万年前に本州と完全に合体し伊豆半島となりました。そのため、この地域は本州と伊豆半島の乗る二つの陸地のかたまり(プレート)の境界に当たり、火山の多い地域となっています。
そのうちの一つである富士山は約二十六万年前から火山活動を始めたとされています。約一万年前の噴火では大規模な溶岩流出があり、楽寿園や白滝公園で見られる「三島溶岩」もこの時流れてきたものです。「溶岩塚」「縄状溶岩」「溶岩樹形」など多様な溶岩地形を見せる三島溶岩ですが、富士山周辺の降水がこの溶岩のすき間を通って三島で湧き出しているという点でも三島にとって重要な存在です。
約二千九百年前には「富士山東斜面の大崩壊」が起こり、その後の土石流(御殿場泥流)が三島にも流れてきます。これにより三島中心部の現在の地形が完成します。
このような過程を経て三島は豊富な湧水を抱える「水の都」となります。中世には小浜用水と千貫樋が造られ、伊豆国だけでなく隣の駿河国の田もうるおしました。また、江戸時代に入ると小浜池の水は「清く冷たいこと天下に比べるもののないほどで、水底に針が落ちていてもよく見える。」と紹介され、三島宿の街道絵図を見ると大場川と境川の間に湧水河川に架かる十二か所の橋を数えることができます。
三島の湧水について二千万年前まで遡ってその由来をご紹介しましたが、ぜひ館内や楽寿園内にある本物の資料をご覧いただき、長い時間の流れを実感してみてください。
ジオサイトコーナー
【平成25年 広報みしま 12月1日号 掲載記事】
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