歴史の小箱
(第305号)弥生時代のコメ作りのムラ西大久保遺跡 (平成25年10月1日号)
十月は実りの秋、収穫の季節です。今回は三島で初めて見つかった弥生時代のコメ作りのムラを紹介しましょう。
縄文時代後・晩期に大陸から伝わった稲作は、弥生時代前期には東北地方北部まで一気に伝播しました。これは、それ以前の縄文時代における狩猟・採集の不安定な生活に比べ、計画的に食糧の確保が見込まれる農耕による生活が安定したものであったかを物語る事象です。
西大久保遺跡は中田町にあり、平成三年のイトーヨーカドーの建設に伴って発掘調査されました。遺跡は御殿川の左岸に位置し、弥生時代後期(約千八百年前)の住居跡十六軒、掘立柱建物跡一棟、水田跡が発見されました。
掘立柱建物跡(高床倉庫)
住居跡は御殿川に沿った微高地上に作られており、隅の丸い方形で大きさが四メートル×五メートルほど、地面をわずかに掘りくぼめた竪穴式住居です。四本柱で中央に煮炊き用の炉があります。住居は、面積からすれば、四~五人が暮らしていたと思われます。
掘立柱建物跡は六本柱の建物で、おそらく余剰生産物を保管する高床の倉庫と思われます。水田跡からは、これに取り付けたと思われるネズミ返しの板が出土しました。
水田跡は御殿川の旧流路を利用し、建築廃材を利用した板と杭で大畦畔(大きな畦)を作り、その中を土の小畦畔で区切るもので、二十平方メートルほどの小区画水田となっていました。また、住居跡からはたくさんの土器が、水田跡からは、田下駄や又鍬などの農具、横槌、機織具など、普通の遺跡では腐食溶解してしまう貴重な
木製遺物が多数見つかりました。
静岡市登呂遺跡(8月の風景)
本遺跡は弥生時代の農耕文化や生活様式を知る上で大変重要な遺跡です。特に水田跡には、矢板による土留めや水路などの土木灌漑技術が用いられており、この時代の人々が、協力し合って大規模な工事を行っていたことが明らかになりました。
このような弥生時代の集落と水田がセットで見つかった遺跡では、静岡市の登呂遺跡が有名です。
郷土資料館のリニューアル展示で、西大久保遺跡から出土した土器や石器、木製農具、生活用具を遺跡の復元図と共に展示する予定です。
【平成25年 広報みしま 10月1日号 掲載記事】
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