歴史の小箱
(第306号)三島に伝わる史跡や伝説 (平成25年11月1日号)
リニューアルオープン記念企画展「偉人たちの足跡を訪ねて」に合わせ、三島に伝わる歴史上の人物ゆかりの地を紹介します。
三島は東西に東海道、北に佐野街道、南に下田街道が通る四辻の町で、古くから人々の往来が盛んな地域でした。平安時代末期には、源頼朝が三嶋大社参詣のため、韮山から三島までの道のりを何度も往復しました。また北条早雲や、武田信玄、豊臣秀吉など多くの戦国武将や太宰治、井上靖といった近代の文豪も三島にその足跡を残していきました。そのため、多くの逸話・伝説が生まれ、今でも三島の地で語り継がれています。とくに源頼朝伝説は数多く伝わっています。そのうちの一つに「右内神社」の言い伝えがあります。
右内神社(梅名)
源頼朝が韮山の蛭ヶ小島に配流されていたころ、源氏再興のため、三嶋大社に大願をかけ百日祈願をしていました。その途中たびたび「右内神社」(梅名)に立ち寄り参詣したそうです。ある時、頼朝は神社に手洗い水が無いことを不自由に思い、従臣の長刀で参道右傍の地面を二、三度突いたところ、不思議にもそこから水が湧き出、さらにそこを掘り起こすと、清水が湧き出たそうです。この伝説を伝える神社内には「頼朝公手洗水址」
の碑があります。
右内神社、頼朝公手洗水址の碑
また、地名伝説の一つに「鎧坂」(文教町)の話があります。
鎧坂(文教町)
永禄十二年(一五六九)六月、武田信玄は北条氏攻略のため伊豆を侵略しました。『 北條盛衰記』によれば信玄は「甲斐国のいかなる社にも本尊があるが、三島は海道名だたる大社にも関わらず本尊も神もない。そんな社を壊して何の罪になろうか」と三嶋大社の社壇や宝蔵を打ち壊しました。ところが数日後、三嶋明神の咎めの大雨で鎧が流されてしまいました。このことに由来し、鎧坂という名が付いたと言われています
【平成25年 広報みしま 11月1日号 掲載記事】
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