三島宿の民話
言いなり地蔵
江戸時代はじめの頃のお話です。
ある日、明石の殿様松平若狭守の行列が三島の宿にやってきました。
人々は二日町(今の東本町)の息をひそめて、行列が通りすぎるのを待っていた時です。
まだ6歳の娘小菊が道の向こう側にいるのに気づいた母親は、そこを動かないよう手で合図しました。娘は自分を呼んだものと思い、行列の前を横切ったからさあ大変。お侍につかまってしまいました。
大名行列を横切った者は打ち首という恐ろしい時代です。驚いた町民たちは、小菊の命乞いを玉沢妙法華寺の住職日迅上人にお願いしました。
殿様も許す気になったのですが、上人が娘の父親が尾張藩の浪人であるとついもらしてしまいました。
尾張の国と仲の悪い明石の殿様は再び怒り出し、幼い小菊が手を合わせ、「お殿様の言いなりになりますから助けてください」と頼みましたが、とうとう手打ちになってしまいまし た。
父親の源内は娘のかたきを打とうと、殿様の籠を鉄砲で狙いましたが果たせず自害しました。
町の人々は哀れな小菊の霊を慰めるために地蔵を作り、最後の言葉をとって 言いなり地蔵と名づけました。
以来、願い事を聞いてくれると、お参りする人が絶えなかったと言います。