三島宿の民話
手無地蔵
手無地蔵には、さまざまな伝承が残されています。 それでは源頼朝(みなもとのよりとも)にまつわるいい伝えをご紹介しましょう。
800年以上も昔のお話です。
源頼朝が三嶋大社にお参りした折り、今の手無の ところを通ると、美しい女の人が 後をつけてきます。 あやしい気配を感じた頼朝は、知らないそぶりをしていました。 それから毎夜、頼朝がここを通ると、同じように女の人が後をつけてきました。
800年以上も昔のお話です。
源頼朝が三嶋大社にお参りした折り、今の手無の ところを通ると、美しい女の人が 後をつけてきます。 あやしい気配を感じた頼朝は、知らないそぶりをしていました。 それから毎夜、頼朝がここを通ると、同じように女の人が後をつけてきました。
しかし、あえて知らないそぶりをしていると、ある時その女が声をかけてきました。
「うるさい」と怒り声をあげた頼朝が、その女の片腕を刀で切り落としました。
女は地蔵でした。
「うるさい」と怒り声をあげた頼朝が、その女の片腕を刀で切り落としました。
女は地蔵でした。
地蔵はこの時から手なしになり、手無地蔵と呼ばれるようになりました。
この時頼朝が刀の血を洗った川は、血の川と呼ばれたそうで、今も、ちみだれ川、てみだれ川と呼ばれています。
この時頼朝が刀の血を洗った川は、血の川と呼ばれたそうで、今も、ちみだれ川、てみだれ川と呼ばれています。
また別の言い伝えがあります。
夜になると道行く人にいたずらをする地蔵がいたそうです。
作どんがちょんまげをひっぱられたとか、お花ちゃんが後からいきなり抱きつかれたとか、うわさはうわさをよんで、どんどん広まりました。
これを伝え聞いた中伊豆のさむらいが、「けしからんことだ、一つこらしめてやろう。」と思い立ち、夜がとっぷり暮れた頃、くさむらに隠れて様子をうかがっていました。
しかし、どうしたことでしょう、地蔵はピクリとも動きません。
夜になると道行く人にいたずらをする地蔵がいたそうです。
作どんがちょんまげをひっぱられたとか、お花ちゃんが後からいきなり抱きつかれたとか、うわさはうわさをよんで、どんどん広まりました。
これを伝え聞いた中伊豆のさむらいが、「けしからんことだ、一つこらしめてやろう。」と思い立ち、夜がとっぷり暮れた頃、くさむらに隠れて様子をうかがっていました。
しかし、どうしたことでしょう、地蔵はピクリとも動きません。
「やれやれ、やっぱりただの噂だったのか」そうつぶやいた侍が、帰ろうと歩き出すと、何やら冷たいものが首筋のあたりをなでるではありませんか。
「きたな!」とっさに怪しげなけはいを察した侍が、振り向きざまに刀を振りおろしたところ、「ギャア!」じごくの底のようなうめき声があがり、確かな手ごたえを感じました。
不気味な闇が山並みにとけて夜がしらじら明ける頃、地蔵を見に行くと、片方の手が肩から切り落とされており、田んぼのあぜにもう一本の石の腕が転がっていました。
「きたな!」とっさに怪しげなけはいを察した侍が、振り向きざまに刀を振りおろしたところ、「ギャア!」じごくの底のようなうめき声があがり、確かな手ごたえを感じました。
不気味な闇が山並みにとけて夜がしらじら明ける頃、地蔵を見に行くと、片方の手が肩から切り落とされており、田んぼのあぜにもう一本の石の腕が転がっていました。
地蔵は、よほどこりたのでしょう。
二度と化けることがありませんでした。この時以来、手無(てなし)地蔵と呼ばれるようになり、村人は花やだんごを供えて、手厚く供養するようになりました。
【注】
「あぜ」…田と田のくぎりの土をもったしきり
二度と化けることがありませんでした。この時以来、手無(てなし)地蔵と呼ばれるようになり、村人は花やだんごを供えて、手厚く供養するようになりました。
【注】
「あぜ」…田と田のくぎりの土をもったしきり