三島宿の民話
孝行犬の話
幕末の頃、円明寺(現、芝本町)の本堂の床下に母犬と5匹の子犬が住んでいました。
大変おとなしく、番犬の役にも立ちましたので、時の住職日空上人は、母犬を多摩、子犬らを登玖、都留、摩都、左登、富寺と名づけて可愛がりました。
ところがある日、子犬の富寺が病気で死んでしまい、母犬も悲しみのあまり寝込ん でしまったのです。
残った4匹の子犬は手分けをして、2匹は母犬の看病をし、2匹は 町へ走り出てある家の人から食べ物をもらっては口にくわえて持ち帰りました。
残った4匹の子犬は手分けをして、2匹は母犬の看病をし、2匹は 町へ走り出てある家の人から食べ物をもらっては口にくわえて持ち帰りました。
同じことが数日も続いたので、その家の人が後をつけると、本堂の床下で子犬たちが、病気の母犬の世話をしていたからびっくり、そして感心しました。
しかしそのかいもなく母犬は死んでしまいました。
しかしそのかいもなく母犬は死んでしまいました。
子犬たちは三日三晩母犬のそばを離れず、嘆き悲しむ声に人々ももらい泣きしたと言います。
四日後、4匹は母犬を埋葬し、数日間墓で別れを惜しみました。
その後子犬たちは、あいついで死んでしまいました。
四日後、4匹は母犬を埋葬し、数日間墓で別れを惜しみました。
その後子犬たちは、あいついで死んでしまいました。
日空上人は母子6匹のために石碑を建ててその純情をたたえ、世の人の戒めとしました。
江戸の絵師がこの話を錦絵にして大評判になったそうです。
江戸の絵師がこの話を錦絵にして大評判になったそうです。
孝行犬の墓