歴史の小箱
(第178号) 三島の繁栄を伝える ~寺尾家の大黒さま~ (平成15年3月1日号)
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また三島市街地の商店では神棚に小さな恵比寿さま、大黒さまがまつられ、商売繁盛の神様として信仰されています。
昭和三十年代まで、三島の商店街では11月20日(昔は10月)、「恵比寿講(えびすこう)」の祭りが催されていました。各商店では、神棚にある恵比寿、大黒さまを清め、床の間に飾り、太い大根二本を両側に立て、季節の野菜や果物、ご馳走を盛ったお膳をあげます。そして商売で使ったそろばん、お金を入れた財布、札束などを飾り、商売の繁盛が続くよう祝うのです。大きな店では、家族から使用人までそろって祝い膳を囲むところもありました。
また、多くの商店では店先でみかんをまいたものです。三島の子供達は大きな袋を持って、こちらの店、あちらの店とみかんを拾いに行きました。普段あまり口にできないみかんを、その日は思いきり食べることができる楽しい日でした。
三島の商店がそれぞれまつる大黒さまの中でも、由緒が古いものの一つに寺尾家の大黒さま(写真中央町 大庭正夫氏所蔵)があります。この寺尾家は室町時代には伊豆の守護代を勤め、当時は赤橋通り沿いに屋敷を構えていました。代々「源兵衛」を名乗り、源兵衛川の開鑿(かいさく)は戦国時代末頃の源兵衛が行った仕事といわれます。江戸時代には問屋小路(市役所 中央町別館東側)で定飛脚(じょうひきゃく)問屋を営んでいました。 寺尾家の言い伝えでは、江戸時代始め頃、彫刻師左甚五郎(ひだりじんごろう)が江戸へ下る途中、寺尾家に逗留し、そのお礼として大黒さんを彫り置いていったといわれます。一説には三島神社の神馬彫刻のための逗留とも言われますが、いずれも裏づけとなる資料は残っていません。
やや左に体をひねり、打ち出の小槌を振り上げ、おっとりと福よかな笑顔は見る人を引きつけて離しません。
(広報みしま 平成15年3月1日号掲載記事)
歴史の小箱(2002年度)
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