歴史の小箱
(第169号) ~三四呂人形誕生秘話~ 野口三四郎と朝鮮風物 (平成14年6月1日号)

三四呂人形の作者、野口三四郎は、大中島(本町、旧ネクステージ三島の西通り)に今から百年前に生まれ、韮山中学校(韮山高校)から、写真家をめざして上京、ついに昭和3年頃(1928)日本橋三越にあった早撮り写真の技師となります。写真師の道を進んだものの、大きな転機が三四郎に訪れます。翌4年に朝鮮博覧会が京城(ソウル)で開催され(9~10月)、三四郎は写真技師として派遣されたのです。
初めて異郷の地を踏んだ三四郎にとって朝鮮の風物は、大変新鮮に映ったようです。この年三四郎は大量のスケッチ画(水彩)を残しています。山や農家、畑の耕作、農作業風景、牛、馬、鶏。朝鮮の人物にも関心を示し、水汲み、洗濯、楽器を奏でる、朝鮮舞を舞う、市場や劇場、見世物の様子など、生き生きとすばやいタッチで描き分けています。
写真は朝鮮舞を舞う官伎(宮廷付きの踊り手)のスケッチですが、気に入った素材だったようで、さまざまな角度、多くのポーズを何枚もの画用紙に残しています。 三四郎は朝鮮の自然と人々から強いインスピレーションをもらい、これを何かに表現したいと考えました。生来芸術家肌の三四郎は三越をやめ、表現方法を模索して、出会ったのが張子の技法です。
張子の虎からヒントを得て、その技法を習熟し、あたたかみある人形として完成させます。昭和十二年三七歳で亡くなるまでの約七年間に、子供の世界や家族愛をテーマとした作品を残しますが、朝鮮の人々と暮らしを題材とした作品も数多く生まれました。
その一つ「官伎」は朝鮮のスケッチから製作されましたが、他の人形作家、鹿児島寿蔵などに大きな影響を与えたといわれます。
(広報みしま 平成14年6月1日号掲載記事)
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