(第171号) ~朝鮮通信使からの贈り物~ 長円寺の袈裟と数珠  (平成14年8月1日号)

長円寺の袈裟と数珠
 江戸時代、朝鮮半島から朝鮮通信使が十二回日本を訪れました。三島では世古本陣に宿泊した記録や、荷物を搬送するため馬小屋を造営した記録などが残ります。
 また、白隠禅師、秋山富南が交流を持ったことが判明しています。
 この他、三島の高僧に金襴の袈裟(僧の着る法衣)と数珠が贈られています。(写真)三島駅から南へ下る道沿いにある長円寺(芝本町)に残されているものです。  長円寺(浄土宗)は16世紀初め、増譽上人の開山の古刹です。増譽上人は沼津の海岸に松の木を植え続け、現在の千本浜を作り上げた人物です。江戸時代初めの住職正譽上人もまた大きな業績を残し「中興号」を授けられています。

 寺の伝承によると『かつて朝鮮国王が来日し、世古本陣に宿泊した夜、ある方角に高僧がいるとの夢のお告げを受けた。国王が世古氏に尋ねるとその方角には高僧の誉れ高い正譽上人がおり長円寺の住職であるとの返事。そこで朝鮮国王は帰国ののち、数珠と袈裟を長円寺に贈った』という内容です。
 長円寺では袈裟と数珠を寺宝としており、文化12年(1815)の火災時、過去帳は焼失しても、本尊とこの二点はかろうじて持ち出したという寺が最も大事に守っていた品々です。

 ところで、寺伝には「朝鮮国王」とありますが、江戸時代に朝鮮国王が来日した記録はなく、国王の親書を持参した朝鮮通信使の正使からの賜り物とも考えられます。

 また金襴の袈裟の裏地には

「寛永十五年(1638)八月
阿弥陀仏印(三点)正譽(花押)
  八月吉鳥  求之 」

と墨書されています。(裏地は後代に張り替えられたが、墨書部分のみ残してある)
前年14年の正月には第四回朝鮮通信使が三島に二泊した記録が残ります。この時に通信使一行と正譽上人との間に親しい交流が生まれ、帰国後に朝鮮半島から袈裟と数珠が贈られたものと想像されます。三島における朝鮮使節との親交を物語る貴重な品物です。
(参考文献『馬上才』第16号 北村欽哉著)
(広報みしま 平成14年8月1日号掲載記事)