歴史の小箱
(第176号) 村人達の信仰 ~唯念上人名号碑と念仏講~ (平成15年1月1日号)
三島市周辺の農村集落では、毎月、各戸に持ちまわりで「十二夜講(題目講)」「念仏講」を行っているところがあります。
当番の家では、題目「南無妙法蓮華経」あるいは念仏「南無阿弥陀仏」と書かれた掛軸を床の間に掛け、花や供物を上げます。講の人々が集まると、お題目、念仏や観音経などのお経を上げ、集落の安泰と家人の健康などを祈ります。その後お茶と漬物・菓子などをいただきながら、茶飲み話をして終了します。これらの講は、地域の人々のささやかな交流の場となっているのです。
「十二夜講」のように日の決まっている講もあれば、決まっていない講もあり、集まるのは二十人程度、多くは女性で、昔から住んでいる家の人達がほとんどです。
「十二夜講」(題目講)は日蓮宗の家が集まり、「念仏講」は浄土・真言など念仏信仰の家の人々が中心です。集落によっては両方の講を行っている所もあります。
三島周辺の題目講は玉沢の妙法華寺の歴代住職と日蓮宗寺院が江戸時代に普及したものです。また一方の念仏講は、寺院が中心となっているほか、唯念上人(ゆいねんしょうにん)によって普及したものです。
唯念上人は江戸時代末から明治初期に活躍し、箱根山麓の周辺地域の民衆に念仏を広めました。上人は各集落を回りながら、自らの書による名号「南無阿弥陀仏」を渡し、念仏講(蓮華講)を組織しました。
講の人々は信仰のあかし証として、唯念上人の書をもとに「唯念名号碑(ゆいねんみょうごうひ)」の石碑を集落内に建立しています。
静岡県内には沼津、駿東、伊豆地域だけでも150基以上あり、三島市内では、現在14基確認されています。いずれも高さ1~2mもある大型の石碑です。
写真は唯念上人の自画「達磨図(だるまず)」で「九年迄 座禅するこそ無役(むやく)なり 誠の道は弥陀の一と聲(こえ)へ」と念仏の功徳を説いているものです。上人は84歳、明治5年頃の書で、穏やかな人柄と念仏信仰への深い思いが読みとれます。(関守敏氏所蔵)
(広報みしま 平成15年1月1日号掲載記事)
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