歴史の小箱
(第275号)市制施行70周年② 三島町と錦田村から三島市へ (平成23年4月1日号)
今年は三島市が誕生してから七十年を迎えます。三島の過去三度の合併についてシリーズで取り上げています。
二回目は昭和十六年の三島町と錦田村の合併、そして三島市の誕生についてです。
先月号では昭和十年(一九五三)の三島町と北上村の合併について紹介しました。この合併から六年後の昭和十六年には錦田村との合併が成立し、同時に三島市が誕生しました。
錦田村は三島町と大場川を挟んで東側に位置し、箱根西ろくの山林・山畑と、大場川に流れ込む山田川・夏梅木川に開けた小扇状地の水田地帯からなる農村でした。
戦国時代に小田原北条氏が築いた山中城跡が残り、谷あいの玉沢には徳川幕府の 庇護を受け十万石の格式を持つ妙法華寺(日蓮宗)が寺勢を誇っていました。
「錦田」の名は明治二十二年の町村制発足の際に付けられました。昔は川原ケ谷と箱根西坂五ケ新田を「錦ノ郷」といい、谷田村外四ケ村を「谷田郷」といったので、両郷の文字を組み合わせて「錦田村」としました。
昭和十六年(一九四一)四月二十九日、三島町と錦田村は合併し、人口約三万四千人の三島市が誕生しました。前年の昭和十五年には紀元二千六百年を記念して自治体の合併が進められたこともあり、静岡県下六番目、全国では百八十番目の市制施行となりました。他にも愛媛県西条市や大分県佐伯市がこの日に誕生しています。
三島市誕生を伝える新聞記事(静岡新聞社提供)
『三島町錦田村を廃し市制施行に関する覚書』冒頭には、「三島町錦田村を廃し其の区域に市制を施行し三島市を設置すること。施行期日は昭和十六年四月一日とす」とあります。ではなぜ、四月二十九日になったのでしょう。詳細は分かりませんが、折しも昭和十六年といえば第二次世界大戦が勃発した年です。そして当時の四月二
十九日は天長節といって昭和天皇の誕生を祝う大切な日でした(戦後天皇誕生日と改称)。こうした経緯から、日本が第二次世界大戦という荒波に向かう中で、合併・市制施行を通じて少しでも国民の結束力を高めるため、この祝日を選択した可能性があります。
三島市制施行から七十年をたどることは、戦後の三島の歴史そのものです。現在四月二十九日は「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」という趣旨のもと、「昭和の日」として国民の祝日になっています。七十年を振り返る時、昭和の激動期を通じて三島を必死に守ってきた先人に対し、現在の私たちがこの地に平和で健やかに暮らせることを感謝せずにはいられません。
【平成23年 広報みしま 4月1日号 掲載記事】
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- (第275号)市制施行70周年② 三島町と錦田村から三島市へ (平成23年4月1日号)