歴史の小箱
(第281号)近代三島発展の足あと『花島家文書』 (平成23年10月1日号)
今月は、収蔵資料から「花島家文書」を紹介します。
花島家は江戸後期に県西部の春野町(現浜松市)から三島宿へ移動して酒造業などで財をなし、中伊豆地区にも土地を有する資産家でした。明治期に入り、花島兵右衛門(弘化三年(一八四六)~昭和四年(一九二九))が酪農や練乳(コンデンスミルク)の製造、町会議員・郡会議員など公職の歴任、薔薇女学校設立、現在の伊豆箱根鉄道開通や三島銀行起業への貢献など多方面において活躍しました。
郷土資料館では平成二十三年三月にNPO伊豆学研究会の会員の皆さんの協力のもと『花島家文書目録』を刊行し、また、現在二階常設展示室において主な資料を展示しています。(平成26年8月現在は3階に展示されています)
内国勧業博覧会表彰状
缶詰ラベル
花島兵右衛門は明治に入り酪農を始めますが、当時は生乳の需要が不安定でした。そこで、生乳を加工した練乳の製造を研究し、製品化に成功します。この練乳は明治二十八年(一八九五)の博覧会で有功二等を受賞しました。その後も製品に改良を加え「金鵄ミルク」の商品名は全国的に有名なものとなりました。
薔薇女学校設立趣意書
薔薇女学校はキリスト教に改宗した兵右衛門が自宅の酒蔵を改造して開校したキリスト教主義の女学校で、明治二十一年(一八八八)に開校しました。四年後には閉校となってしまいましたが、外国人教師や女学校の生徒たちの西洋化した生活スタイルは三島に欧風文化をもたらしました。
また、大正六年(一九一七)からは乳製品の工場を二日町につくり、操業を開始しました。この練乳製造を始め各種の事業には、息子の轍吉も携わっています。
現在、工場のあった場所は二日町の市営住宅となっていますが、ここには、兵右衛門と息子、轍吉についての解説碑を設置しています。
【平成23年 広報みしま 10月1日号 掲載記事】
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