歴史の小箱
(第277号)旧石器時代の落とし穴 初音ヶ原遺跡 (平成23年6月1日号)
初音ヶ原遺跡は、市街地の東側に広がる箱根山西麓で、標高一〇〇メートルの緩やかな傾斜の丘陵上に位置しています。遺跡の中央部には国道一号線が通っていますが、旧東海道の松並木や錦田一里塚が残され、源頼朝が箱根権現に詣でる際、この原で鶯の初音を聞いたことから地名となったと伝えられる由緒あるところです。
落とし穴群全景
遺跡の調査は、一九八六年~九七年にかけて実施されました。この地域は富士山の火山灰を起源とするローム層が厚く堆積しており、その最上部、約三メートルほどの間に旧石器時代の遺跡が営まれています。初音ヶ原遺跡では、複数の生活の跡が見つかり、二千六百六十点の石器が出土しました。落とし穴は、地表面から約二メートルの深さで六十基が見つかり、その地層や配置から、日本最古の極めて大規模な落とし穴群であることが明らかにされたのです。
落とし穴は、丘陵の左右の谷頭を結ぶように横断して三列の配置が見られます。東西九五メートル、南北一七〇メートルにおよび、未確認のものを含めると百基を上回る穴があるようです。それぞれの形は円形で、下部がバケツ状、上がラッパ状に開き、直径一四〇センチメートル、底部径六一センチメートル、探さ一三〇センチメートルが平均の大きさです。見つかった地層は今から約二万七千年前の堆積とされています。
これらの穴は丘陵を横断する配置や石器を伴わない空間領域にあることなどから、墓や貯蔵穴などではなく、狩猟のため設置されたものと考えられます。対象獣は明確ではありませんが、穴を掘削するために大変な労働力を投下し、なおかつそれに見合うだけの収穫が期待されているとすれば、それは群れをなし、比較的多量に捕獲
できる動物であったはずです。春と秋に山地と平地を大規模に移動するシカなどが有力候補でしょう。
旧石器時代の社会については、少数の家族を単位として、獲物を求め一定地域を遊動するといった生活イメージがありましたが、本遺跡のあり方から、背後に複数の集団による共同作業の存在が想定されることも極めて重要です。
このような落とし穴は愛鷹・箱根山麓、三浦半島に限定されており、しかもこの時期以後、縄文時代まで認められていませんので、約二万七千年前に唐突に出現し、この地域環境に適応して急速に発達、動物層の変化などから短期間で衰退した狩猟法と考えて良いでしょう。
【平成23年 広報みしま 6月1日号 掲載記事】
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