歴史の小箱
(第276号)市制施行70周年③ 中郷村合併と三島の近代 (平成23年5月1日号)
今年は三島市が誕生してから七十年を迎えます。三島の過去三度の合併についてシリーズで取り上げてきました。
三回目は昭和二十九年の中郷村との合併から、その後の三島の歩みを紹介します。
三島市・中郷村合併祝賀会
前回、前々回と三島の合併について紹介しました。昭和十年(一九三五)の三島町と北上村の合併に始まり、昭和十六年の錦田村との合併、そして市制施行による三島市の誕生までを紹介しました。
昭和十六年の市制施行後、日本は太平洋戦争に突入しますが、昭和二十年には終戦を迎えました。
戦後、日本が復興していく中で、行政の事務能力を高める目的で市町村合併ブームが興ります。いわゆる昭和の大合併といわれるものですが、折しもその時流の中で行われたのが昭和二十九年三月三十一日、中郷村と三島市の合併です。中郷村は三島市の南部に広がる農村地域で、玉川村、堀之内村、平田村、松本村、長伏村、御園村、安久村、梅名村、八反畑村、鶴喰村、青木村、新谷村、北沢村、多呂村、中島村、大場村の十六ケ村により形成される集落です。古代には大場川と境川に囲まれた地域一帯が「中の郷」と呼ばれていた事から「中郷」が村名となりました。また、狩野川や大場川の水害により、たびたび苦しめられてきた地域でもあり、昭和三十三年には狩野川台風に襲われ、多くの人々が被災しました。
この中郷村との合併により、三島市は現在の形となりました。そして合併後の三島市は高度経済成長の波に乗り、昭和三十五年には市役所庁舎が完成し、翌三十六年には国道一号線の三島バイパスが開通します。
しかしながら昭和三十五年、続いて昭和三十八年に三島沼津地区に富士石油・住友化学・東京電力を基幹とした石油化学コンビナート建設計画が持ち上がりました。この計画に対し、中郷地区の農民たちは市民団体と共に反対運動を展開します。この運動が功を奏し、ついに企業は進出を断念しました。
こうしてコンビナート進出反対に成功した三島は、その後昭和四十四年に新幹線三島駅が開業。昭和六十一年には人口十万人の達成、平成三年には市制施行五十周年を記念し、三島市民文化会館(ゆうゆうホール)が開館します。平成十三年には街中がせせらぎ事業の整備開始、そして平成十七年には本町タワービルがオープンと、着実にその歩みを進めています。
今回の七十周年は、三島の先人達が歩んできた軌跡を振り返る良い機会であると共に、その歩みが私たちの明るい未来への道しるべとなることを願ってやみません。
【平成23年 広報みしま 5月1日号 掲載記事】
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