歴史の小箱
(第283号)三島宿の土産物 三嶋暦 (平成23年12月1日号)
現在開催中(平成二十三年十月二十九日から十二月四日)の開館40周年記念企画展「三島暦 三島暦で旧暦を読む」に併せ、代表的な地方暦のひとつ三島暦について紹介します。
明治初期に太陽暦(現在の暦)が使われるようになる前の暦、いわゆる旧暦はもともとは中国が発祥のものです。そのためはじめは日本でも漢文で書かれていましたが、暦に対する需要の高まりとともに仮名文字でも書かれるようになりました。三島暦は「仮名版暦」(仮名文字で書かれ、木版印刷で作られた暦)としてはもっとも早いもので、少なくとも鎌倉時代まではさかのぼると考えられています。三島暦は三嶋大社のすぐ近くに位置する河合家で作られていました(現在、「三嶋暦師の館」として公開中)。
なぜ三島で早くから暦が作られていたかについては、鎌倉幕府が自身の権威を強めるため源頼朝以来つながりの深い三嶋大社から暦を頒布させたためと考えられます。
このように三島暦は伝統もあり非常に有名だったため、江戸時代には宿場の土産物としてもさまざまな形で紹介されています。
東海道の街並み、名所などを地名・里程・駄賃・土産などとともに描いた『東海道分間絵図』には三島宿の箇所で三嶋明神(三嶋大社)や千貫樋とともに三島暦が紹介されています。
「みしまこよみ」の部分
「みしまこよみ」とあるの部分(拡大)
また、伊豆地方の代表的な地誌である『豆州志稿』の中にも土産物として三島暦の項目が立てられており、江戸時代の途中まで河合家が独自に暦を編纂していたことや代々天子や将軍家にも献上していたことなどが記載されています。
そのほか、宿場の本陣のひとつである樋口本陣でも付き合いのあった大名家などへの贈答品として三島暦が用いられていた事を示す記録が複数残っています。
嘉永2年(1849)三島暦
嘉永2年三島暦 内容
【平成23年 広報みしま 12月1日号 掲載記事】
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