歴史の小箱
(第279号)三島と三四呂人形と朝鮮半島 (平成23年8月1日号)
現在開催中(平成二十三年六月十一日から九月二十五日)の市制施行七十周年記念「三四呂人形の見た近代」に
併せ、三島市が成立する直前の時代(大正、昭和初期)のできごとや世相を、三四呂人形を通して紹介します。
明治の後半から戦前まで、日本は海外に領土を有していました。明治前半の千島樺太交換条約や琉球処分などで国境を確定させ、その後植民地を獲得していきます。台湾(日清戦争後の明治二十八年(一八九五))、南樺太(日露戦争後の明治三十八年(一九〇五))、朝鮮半島(明治四十三年(一九一〇))、パラオ諸島、マリアナ諸島などの南洋諸島(第一次世界大戦後の大正八年(一九一九)委任統治権獲得)などが植民地となり、満洲国なども含めて「外地」とよばれていました。
帝国主義の時代から第一次大戦を経て徐々に植民地を持つことが正義に反することだと認識されるようになっていきましたが、まだ当時の人々にとっては海外に領土があることは当たり前でした。
このような状況の中、三島でも現在の楽寿園が朝鮮王朝最後の皇帝の王子であった李垠殿下の別邸となっていた時期があります。これは明治四十三年(一九一〇)の日韓併合の翌年から昭和二年(一九二七)までの期間で、殿下は三嶋大社の祭りを見物したり、小浜池に船を浮かべたりすることもありました。
三四呂人形の作者、野口三四郎は昭和四年(一九二九)の朝鮮博覧会で、自動写真撮影館の技師を勤めました。博覧会後一カ月ほど朝鮮半島を旅行し、朝鮮の風俗や風景など多数のスケッチを描いています。その中にはこの官妓など後に作られた人形のもととなったと思われる構図のスケッチもたくさん残されています。この旅行が転機となり帰国後、三四郎の人形制作が始まったのでした。
農村での人々の暮らしも数多くスケッチされています。そこに描かれた人物や風景のやわらかな筆致から、三四郎の視点が植民地を日本の権益の対象とみなしていた政治家や軍人、一旗揚げようと大陸へ渡った冒険的商人などと違っていたのではないかということがうかがわれます。
「水を汲む半島の女」(張子人形)
「牛追い」(張子人形)
「官妓」(張子人形)
【平成23年 広報みしま 8月1日号 掲載記事】
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