歴史の小箱
(第288号)明治時代の詩人・政治家 山口余一資料 (平成24年5月1日号)
今月は収蔵品紹介展示「新規収蔵・修復・整理・調査資料」(平成二十四年四月二十八日~六月十日)に併せ、平成二十三年度に購入した「山口余一関連資料」を紹介します。
山口余一は天保十三年(一八四二)三島宿大中島(現在の三島市本町)に生まれ、福井雪水の千之塾で学業に励みました。詩文や書に優れ、秋山富南の碑、日清戦争の戦勝碑、日露戦争で陣没した将校・兵士の墓誌などの選文や書をなしたほか、教育の方面で多大な尽力をしました。また、明治九年(一八七六)から二十四年(一八九一)の間に静岡県民会議員、韮山中学校(現県立韮山高校)校長、君沢田方郡書記、伊豆国町村連合会人民惣代などを歴任しました。
「山口余一関連資料」の全体を眺めると、詩文については本人による草稿、本人や親交のあった漢学者岡千仭の選文になる墓誌の草稿、師である福井雪水の遺稿『雪翁遺草』出版に関する下書きや内務省への出版届などが見られます。
雪翁遺草 関連資料
公職に関する資料としては伊豆国町村連合会(明治期に伊豆国の町村により結成され、学校資金・勧業資金・病院の経営などを行った)の人民惣代時代のものの割合が多く、人民惣代山口余一ほか一名に宛てられた明治二十三年の「私立伊豆学校収支報告」、「組合常設委員旅費日当議案」、「伊豆国人民惣代委任状」など町村連合会の活動内容をうかがい知ることができる文書が含まれています。
また、おそらく人民惣代時代のものと思われる資料のひとつとして、小松宮彰仁親王が現在の楽寿園の地に別邸を建てる計画が進んでいる時期に、小浜池のすぐ南側の土地を宮家が購入することに対する懸念と代案を記したものがあります。この中で余一は「この地に別邸が立つことは三島の町の繁栄につながり歓迎すべきだが、町
にとって重要な水源地をたとえ宮家といえども一個人が所有するのは後のことを考えて不安である。宮家は山紫水明に優れた風景を求めているのであり、事業を興そうと考えているわけではない。であるならば、この土地は町の共有地とし宮家には無償または有償で使用してもらうのがよいだろう」と、述べています。この資料には表題などもなく、また、前後の経過も不明ですが、人民惣代に選ばれるほどの余一の民政に対する配慮が現れている資料といえるでしょう。
宮家の土地購入に関する意見
【平成24年 広報みしま 5月1日号 掲載記事】
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