歴史の小箱
(第297号)野戦重砲連隊の絵葉書 (平成25年2月1日号)
戦前、現在の文教町を中心とした地区には野戦重砲兵の二個連隊が駐屯しており、三島は軍都として栄えていました。
明治二十二年(一八八九)に現在の御殿場線が東海道線として開通すると、箱根を徒歩で越える旅行者が減少し、宿場町として栄えた三島の町はさびれていきました。そのような状況で連隊の移転は町おこしになると考えられ、非常に歓迎されたそうです。
主な施設を写真で紹介すると、大正八年(一九一九)に現在の銀杏並木(この銀杏も連隊が駐屯していた時代に植えられたもの)の東側に野戦重砲兵第二連隊が、翌九年には西側に第三連隊が移転してきます。写真1~3は当時の第二連隊を写した絵葉書です。また、現在の市民体育館の場所には三島衛戍病院(陸軍病院)が大正八年に開設されており、こちらも絵葉書になっています。
連隊の駐屯は町のにぎわいに大きく貢献したため住民の多くは好意的で、町にとっても重要な施設として位置づけられていたようです。そのため、このような絵葉書が作られただけではなく、「町勢要覧」のような町の概要をまとめた冊子や一部の観光パンフレットなどでも大きく取り上げられることがありました。
第二連隊本部
第二連隊の門 現北中校門
第二連隊 軍馬の手入れ
衛戍病院
【平成25年 広報みしま 2月1日号 掲載記事】
歴史の小箱(2012年度)
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