歴史の小箱
(第289号)中 鈴木家文書 三島製紙関連資料 (平成24年6月1日号)
今月は収蔵品紹介展示「新規収蔵・修復・整理・調査資料」(平成二十四年四月二十八日~六月十日)に併せ、中 鈴木家文書から三島製紙関連資料を紹介します。
中村(現三島市中)の鈴木家は、江戸時代を通じて名主を勤めた家柄で、郷土資料館では鈴木家に伝わった古文書類二六〇〇点を収蔵しています。平成二十三年度にはこれらの整理を進め『中 鈴木家文書目録』を発行しました。
鈴木家は明治以降もさまざまな分野の産業振興に貢献しており、そのひとつに三島製紙株式会社が
あります。
三島製紙株は大正七年(一九一八)、ライスペーパーの製造を目的として設立された製紙会社です。ライスペーパーとは紙巻たばこに使用される巻紙でその生産には高度の技術を要し、当時は輸入が大部分を占めていました。しかし、第一次大戦の好景気による国内のたばこ需要の増大や戦場となったヨーロッパからの輸出の減少などのため、国内でのライスペーパー生産の機運が高まります。三島製紙株はそのような時代背景の中で
設立されました。
三島製紙株の元となったのは「三柏社」という組合ですが、これは中 鈴木家の鈴木東海夫、江戸時代に三島宿の本陣であった樋口家の樋口傳左衛門、静岡市の北村浦太郎の三人が、一万二千円を出資して設立したものです。その後設立された三島製紙株は、樋口家の所有する源兵衛川沿いで操業する予定でしたが、抄紙機(紙を抄
く機械)調達の都合などから駿陽製紙株と合併を経て、富士市内で操業を開始することとなりました。
鈴木東海夫はその後、昭和十六年まで役員を務めます。途中昭和五年には、昭和恐慌の中で経営危機に陥ります。資料には、従業員が給与の一割辞退を申し出た陳情書や、財務整理せざるを得ない状況の中で立ち上げられた別会社である三島製紙合資会社の決算報告書なども残されています。
その後、会社は経営危機を乗り越えて操業を続けました。現在は、日本製紙系列の日本パピリア株式会社に社名を変更し、各種特殊紙を生産しています。
【平成24年 広報みしま 6月1日号 掲載記事】
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