歴史の小箱
(第296号)三嶋暦と江戸時代の改暦 (平成25年1月1日号)
今月は三島で作られていたカレンダー、三嶋暦についてとくに、江戸時代の改暦にまつわるものを紹介します。
日本では、明治五年まで月と太陽の両方の動きに基づく太陰太陽暦に則って暦が作られていました。この太陰太陽暦は現在使用されている太陽暦と異なり、二、三年に一度閏月が発生するなど仕組みが複雑で、実際の天体の運行と暦との間にズレが出やすかったことから何回か改暦(暦の修正)が行われています。
文久4年三嶋暦
江戸時代には貞享・宝暦・寛政・天保と四度の改暦がありました。寛政・天保の二度の改暦については、改暦直後に作成された三嶋暦が残っています。
【1】貞享の改暦(一六八四)
後に幕府天文方に任命される渋川春海を中心に作業が行われ、暦の精度が上がるとともに暦の作成が幕府の管理下に置かれるようになりました。三嶋暦もこの時までは独自に暦の作成をしていましたが、これ以降は幕府の作成した暦の原稿を使用するようになります。
【2】宝暦の改暦(一七五四)
八代将軍、徳川吉宗の時代の改暦です。宝暦十三年(一七六三)の日食の予側をはずすなど、不備の多い暦法だったため、次の寛政の改暦が行われるまでに何度か修正が加えられました。
【3】寛政の改暦(一七九七)
通常の年の暦の表紙とは異なり、寛政の改暦後初めて作成された寛政十一年暦の表紙には「寛政九年新暦成十月進奏賜名寛政暦」(寛政九年に新しい暦ができあがり、朝廷に申し上げたところ、寛政暦という名をいただいた)とあります。
寛政11年三嶋暦
【4】天保の改暦(一八四二)
改暦後の天保十五年暦の表紙には改暦のいきさつや変更点などが記載されています。ここには、今まで使用していた寛政暦は間違いを起こすことがあったので改暦の命が下り、天保十三年に新しい暦ができたこと、今後は二十四節気や日食月食の時刻の表示を一般の人が時を知る手段である時の鐘の運用方法(不定時法)と同じ方法で時刻の表示するようにすること、といったことが記載されています。
天保15年三嶋暦
(掲載の三嶋暦は個人蔵)
【平成25年 広報みしま 1月1日号 掲載記事】
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