(第294号)昭和5年北伊豆震災を伝える資料 (平成24年11月1日号)

 三島を含む静岡県東部・伊豆地方に大きな被害をもたらした「北伊豆震災」は、八十二年前の十一月二十六日に発生しています。今回は、この北伊豆震災に関連した資料を紹介します。  

 昭和五年(一九三〇)十一月、毎日のように有感・無感の地震が続く中、二十六日午前四時二分、丹那盆地北西付近を震央とするマグニチュード7・3、三島では震度6を観測する直下型の地震が発生しました。この地震は丹那断層を主とする活断層が地震断層として活動したものです。  

 伊豆の国市や函南町を中心とした県東部・伊豆地方に大きな被害があり、現在の三島市域では死者二五人を数えました。町の中心部でも多くの建物が倒壊しましたが、中郷村での被害が特にはげしかったようです。そのほか、各地域で道路、鉄道、橋梁、河川港湾の堤防などにも破損や亀裂などの被害がありました。昭和八年(一九三三)発行の『三島町震災復興記念写真帳』には、町の多額の経費が小学校などの公共施設の復旧や、国道一号の復旧、住宅復旧のための貸付などに支出されたことが記載されています。  

 地震直後の様子は「呪われた三島町」「温泉地全滅す」といった見出しとともにその日の夕刊に、全国紙の第一面で報じられています。

【写真1】は地震の翌日に札幌・青森・台北(当時日本領の台湾)から届いた、三島の親族への安否確認の電報です。  

 電報には「地震さわりなきやいかが」、「無事か お見舞い申す」、「皆様変わりなきか」といった文面が見えます。  

 また、復興に際しては、各地からの義援金や低利の融資が活用されましたが、甚大な被害に鑑み、天皇皇后両陛下からの恩賜金が一軒に二円ずつ配られました【写真2】。同封の県知事からの通知には「聖旨を奉体し謹みて拝受せらるべし」とあります。ただし、これを貴重なものとして使用せずに保管していた家もあったようです。  

 また、震災から一年後には記念メダル【写真3】も作成されました。関東大震災の復興記念メダル(直径約六センチ)に比べると小ぶりですが(縦五センチ、横二センチ)、多くの人が集まって復興の旗を掲げる力強い図柄となっています。

【写真1】震災直後の電報
写真1震災直後の電報

【写真2】恩賞金
写真2恩賞金

【写真3】記念メダル
記念メダル

【平成24年 広報みしま 11月1日号 掲載記事】