歴史の小箱
(第292号)関東大震災と三島 (平成24年9月1日号)
今月は、現在開催中の収蔵品紹介展示「災害の記録」(九月九日まで)で展示している『関東震災全地域鳥瞰図絵』(吉田初三郎著)を中心に、関東大震災と三島について紹介します。
大正十二年(一九二三)九月一日十一時五十八分、相模湾西部を震源とするマグニチュード7・9の地震が発生しました。地震後、火災などの二次災害が発生したために被害が広がり、死者・行方不明者は十万人以上に達しました。
また、東京では市面積の四割以上の地域の建物が崩壊または消失しました。さらに、電信・電話も破損して市民はパニック状態に陥り、根拠のない噂がもとで多数の在日朝鮮人が虐殺されるという事件も起きました。
「関東震災全地域鳥瞰図絵」は、地震から約一年後に発行されたもので、東京を中心に房総半島や沼津・甲府などからも火の手が上がっている様子がうかがえます。
三島では中郷地域で被害が大きく、罹災者救護の仮小屋が設けられましたが、火災が発生しなかったこともあり、全体としての被害は大きくありませんでした。
しかし、東海道線が不通となり多数の被災者が徒歩で箱根を越えて三島に入ったため、箱根接待茶屋や三島町駅(現田町駅)などに接待所や救護所が設けられました。
明治から昭和にかけて箱根施行平にて無料で旅人の世話を続けた「接待茶屋」の営みが記録されている『大原幽学遠藤亮規と山中新田接待茶屋』には震災後、着の身着のままで命からがら逃げてきた人々が、箱根を越えて殺到してきたときの様子が記録されています。
『関東震災全地域鳥瞰図絵』(吉田初三郎著)
三島、沼津付近
東京中心部
【平成24年 広報みしま 9月1日号 掲載記事】
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