歴史の小箱
(第339号)英雄だって疲れる?!―頼朝休憩伝説―(平成28年8月1日号)
郷土資料館で九月二十二日(木・祝)まで開催の企画展「源頼朝と伊豆」に関連して、前回に引き続き頼朝伝説の地を紹介します。
前回は、流人として若き日を伊豆で過ごした頼朝にまつわる伝説が、この地域にたくさんあることを紹介しました。今回は、そんな頼朝に関する伝説の地のうち、頼朝の人間らしさが感じられるものを紹介します。
頼朝が流されたと伝わる現在の伊豆の国市から百日祈願に通ったとされる三嶋大社の間には、多くの頼朝伝説が残されています。その中には「頼朝が休んだ」というエピソードが数多くあります。
頼朝が政子と結婚後に暮らしたと考えられている北条氏の館(現在の伊豆の国市寺家周辺)から下田街道を少し北上した原木(ばらき)に、餅売のおばあさんの茶店がありました。頼朝はいつもここで餅を所望していたと伝わっています。
そこからさらに三島寄りの函南町間宮の広渡寺(こうどじ)では、頼朝が大社参詣までの時間調整のために仮眠を取っていると、夢に阿弥陀仏の化身が現れ「汝(なんじ)の願望を叶える」とお告げがあったと伝えられています。
三島市域では、現在の東本町にある「間眠(まどろみ)神社」に、頼朝がまどろんだ松があったと言われており、今は六代目の間眠の松と、腰かけたとも横になったともいわれる平たい大石(写真1)があります。
写真1 ベッドのような大石(間眠神社)
間眠神社からさらに大社寄りにある法華寺にも、本堂の前に頼朝が腰かけたと伝わる腰掛石(写真2)があります。この寺にはかつて、頼朝が衣を掛けた「衣掛(ころもか)けの松」もあったそうです。
写真2 背もたれのある腰掛石(法華寺)
いよいよ三嶋大社に到着すると、大社境内にも頼朝が腰を掛けたと言われる腰掛石があります。こちらは「政子の腰掛石」と呼ばれるものと、ふたつ並んでいます。
これらの頼朝伝説は、同時代の記録などに残っている話ではなく、地元の人々による長年の伝承であり、事実か否かを検証できるものではありません。しかしあちこちに残る頼朝伝説からは、武門の誉れ高い「英雄・源頼朝」はこの地で青年期を過ごし、後に成功するための雌伏(しふく)の時を過ごしていたのだ、という人々の郷土への誇りのようなものが感じられます。
それにしても、なぜこんなに休憩ばかりするのでしょうか?次回は、疲れるのも無理はないな…と思わせる頼朝の奮闘エピソードをご紹介します。お楽しみに!
企画展「源頼朝と伊豆」では、伊豆に残る頼朝に関する史跡や伝説の地をほかにも多数紹介しています。ぜひお越しください。
【広報みしま 平成28年8月1日号掲載記事】
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