歴史の小箱
(第343号)山中城跡の出土資料―武器・武具―(平成28年12月1日号)
現在、郷土資料館では、富士・沼津・三島3市博物館共同企画展の第一弾として、企画展「駿東・北伊豆の戦国時代―北条五代と山中城―」を開催中です。今回は企画展展示資料の中から、山中城跡より発掘された武器・武具を紹介します。
箱根西麓(せいろく)の山中新田に位置する国指定史跡山中城跡は、小田原に本拠をおく戦国大名北条氏が、西から進入する敵軍を食い止めるために築いた山城(やまじろ)の跡です。北条氏の重臣松田憲秀(まつだのりひで)のいとこである松田康長(やすなが)が、城の守りを任されていましたが、天正十八年(一五九〇)北条氏討伐に乗り出した豊臣秀吉の軍勢によって、攻め落とされてしまいます。この戦(いくさ)は、「山中城の戦い」と呼ばれています。
発掘調査により、山中城跡から、この「山中城の戦い」でも使用されたかもしれない武器や武具が見つかっています。
1は鎧(よろい)の一部です。鎧のうち、腰から太ももにかけてをガードする部位を「草摺(くさずり)」と呼びます。写真はその草摺を構成する部品です。皮もしくは薄い板の上に布を貼り、その上に赤漆を塗ったもの
です。
草摺は、各部品の上下に穴をあけ、紐を通して連結させるのですが、1の場合、上側にしか穴が開いていないことから、草摺の最下段の部分に使われた部品だったことがわかります。
▲草摺(くさずり)
2は「笄(こうがい)」と呼ばれるもので、刀の鞘(さや)部分にセットして持ち歩いた道具です。笄というと、女性の髪飾りのイメージがありますが、髪飾りとして用いられるのは江戸時代以降のことです。それ以前は、頭の痒いところをかいたり、長い髪の毛をまとめ上げたりする男女共通の道具でした。刀の鞘には笄をセットするための切り込みなどがあり、いつでも使えるよう、携行していたようです。持ち手部分に花の形の彫刻や、金メッキなどが施されていて、当時の人々の趣向が表われています。
▲笄(こうがい)
▲鎧の各部分の名称
このほかにも、戦国時代の戦場において、武器の主流であった鑓(やり)の穂先(ほさき)の部分、投石に使われたのであろう石つぶてなど、「山中城の戦い」の景観が想像されるような資料を多数展示しています。
企画展は、平成二十九年一月二十二日㈰まで楽寿園内郷土資料館で開催中です。ぜひご覧ください。
【広報みしま 平成28年12月1日号掲載記事】
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