(第342号)山中城跡の出土資料―日常の品々―(平成28年11月1日号)

 郷土資料館では現在、富士・沼津・三島3市博物館共同企画展の第一弾として、「駿東・北伊豆の戦国時代―北条五代と山中城―」を開催中です。今回は企画展展示資料の中から、山中城での人々の暮らしぶりがうかがえる出土資料を紹介します。

 箱根西麓(せいろく)の山中新田に位置する国指定史跡山中城跡は、戦国大名北条氏が防衛のために築いた山 城(やまじろ)の跡です。昭和四十八年(一九七三)から発掘調査が行われ、多数の遺物が出土しました。遺物は武具や武器だけでなく、城に出入りする人々が日常使っていたと思われる品々も見つかっています。

 写真1は貨幣です。各曲輪(くるわ)より三十四枚が見つかりました。中世の日本は国内で貨幣を製造してお らず、渡来銭(とらいせん・中国より輸入した貨幣)を使用していました。渡来銭の種類はさまざまで、質の 悪い渡来銭や、民間で模造された私鋳銭(しちゅうせん)が多数流通していました。

山中城跡出土の貨幣
▲写真1山中城跡出土の貨幣

 山中城跡からも、表面に中国の歴代王朝の年号が確認できる渡来銭や、質のあまりよくない私鋳銭が出土しました。当時の市場にいかに多くの種類の貨幣が流通していたかを知ることができます。

 写真2は「十六武蔵(じゅうろくむさし)」というゲームの盤面です。写真ではよくわかりませんが、平らな面を注意深く観察すると、正方形のマス目とその対角を結ぶ線とが刻まれていることが確認できます。

山中城跡出土の線刻礫
▲写真2山中城跡出土の線刻礫(せんこくれき)

 「十六武蔵」は二人対戦のゲームで、盤の中央に親石一個を置き、周辺に子石十六個を並べ、石を動かして勝敗を競うものです。親と子は交互に一桁ずつ石を動かしていき、親は、親石を小石の間に入れることで、両側の小石をとることができます。小石の数が四つ以下になれば、親の勝ちです。子は、子石で親石を囲むか、親石を 写真3の三角形部分(牛部屋)に追い詰めて動けなくすれば、勝ちとなります。中国に起源があるとされ、日本では平安時代から行われていたようです。山城防衛の合間に人々がゲームに興じていた様が想像されます。

「十六武蔵」盤面と親石・小石の配置
▲写真3「十六武蔵」盤面と親石・小石の配置

 このほかにも桶の側面に使われていた板や、扉の取っ手部分といった、山中城に出入りしていた人々の生活を垣間見られる資料を多数展示しています。

 この企画展は、平成二十九年一月二十二日㈰まで楽寿園内郷土資料館で開催します。

 楽寿園では菊まつりも行われています。併せてご観賞ください。

【広報みしま 平成28年11月1日号掲載記事】