歴史の小箱
(第340号)英雄危機一髪!!―頼朝奮闘伝説―(平成28年9月1日号)
郷土資料館で九月二十二日(木・祝)まで開催の企画展「源頼朝と伊豆」に関連して、前回に引き続き頼朝伝説の地を紹介します。
前回は、頼朝の休憩にまつわる伝説をご紹介しました。今回は、三嶋大社参詣の途上で起こったとされる、頼朝の「危機一髪」伝説をご紹介します。
頼朝の伝承は伊豆一円に広く残されており、伊東市には若き日の頼朝の悲恋と命の危機が伝えられています。『曾我物語』によると、頼朝は伊東を治めていた豪族・伊東祐親(すけちか)の娘、八重姫(やえひめ)と恋仲になり、千鶴(せんづる)という男の子が生まれました。しかし流人である頼朝と娘の結婚を認めなかった祐親によって、八重姫は他家へ嫁がされ、千鶴も殺害されてしまいました。頼朝も祐親に命を狙われますが、祐親の子・祐清(すけきよ)が頼朝に父の殺害計画を密告したため、伊豆山神社に逃げて危機を脱しました。
鎌倉幕府が編さんした歴史書『吾妻鏡』によれば、のちに伊東祐親は富士川の戦いで敗れて頼朝に囚われ、頼朝から恩赦(おんしゃ)があったにもかかわらず、以前の行いを恥じると言い残し自害したそうです。
三島市内にも、頼朝が三嶋大社参詣の途上でも危機に見舞われたという伝承があることを、広報みしま七月一日号の本欄でご紹介しました(手無地蔵堂、妻塚観音堂)。
さらに頼朝は三嶋大社の境内でも、「危機一髪」伝説を残しています。頼朝が大社へ参詣したある日、背後に怪物が現れたため切りつけたところ、あとには刀傷を負った牛のような形の石が残っていた、という伝承があります。この石が、社務所前の牛石(うしいし)です。
帰路についても頼朝の奮闘は続きます。ある夜の大社参詣の帰り道、現在の函南町間宮のあたりで大雨に遭いました。狩野川まで来ましたが橋が流され困っていたところ、一本の丸太が流れ着いたといいます。そこで念仏を唱えながら急ぎ丸太を渡って向こう岸までたどり着き、振り返ると丸太は大蛇となって濁流を流れていった、
という伝承があります。この伝承は、来光川に架かる国道一三六号の蛇ヶ橋(じゃがはし・写真)にまつわるものです。
現在の蛇ヶ橋
物の怪(もののけ)から暗殺者まで、頼朝の伊豆生活には危機が満載です。これだけ奮闘していては、いかに頼朝といえど、休憩をはさみたくなるのもわかる気がしますね。
頼朝にまつわる史跡・伝承は、郷土資料館で開催中の企画展「源頼朝と伊豆―史跡と伝承―」でもたっぷりご紹介しています。迫力ある浮世絵、市内に伝わる頼朝像、当時の生活が垣間見える出土遺物など、関連資料も合わせて展示しています。
郷土資料館で史跡・伝承に触れ、ゆったりとした時間をお過ごしください。お待ちしています。
【広報みしま 平成28年9月1日号掲載記事】
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