歴史の小箱
(第138号) ~弾除けの神さんとして信仰された~ 「リュウソウサン【龍爪山】」のお札 (平成11年11月1日号)
毎年3月17日の夜、三島の山間部の集落、元山中・小沢・伊豆佐野では龍爪講【りゅうそうこう】のオフルマイが講仲間によって催されます。
龍爪講は山で狩猟・鉄砲を撃つ人たちの講でした。テッポウガミサンとも称され、明治以降盛んになった祭りで、山での災難・鉄砲による災難を逃れると信じられていました。
「龍爪山」「龍爪大権現」を祀った龍爪神社が各集落に建てられています。もともとは静岡市の北にある薬師岳・文殊岳の山頂近くに鎮座する穂積神社(通称「龍爪山」)から勧請【かんじょう】されたといわれ、静岡県東部には、江戸時代末~明治時代にかけて多くの龍爪神社が勧請されています。
戦後までは、三島にある3ヶ所の龍爪神社の祭りは盛大に催されていました。
幟を建て、祭典の後、射場で射撃の腕を競った所もあります。
この時配られるお札は、鉄砲の弾にあたらないありがたいお札として、三島・駿東の人々が列をなしてもらいに来たものです。
戦争に行く夫や息子のために「龍爪山」のお札は絶大な力と信仰がありました。
明治後半から第二次世界大戦までが龍爪神社の祭りが最も盛んな時期ですが、日本が軍備を拡張し続けた時代と丁度重なります。
戦争に往くことを表立って反対することがはばかられた時代、大切な夫や兄弟・息子達の命が無事帰ってくるよう藁でもすがりつきたい痛切な思いで、遠路はるばる来た人々にとって、一枚のお札は、他に替え難い貴重なものでした。
多くの兵隊が「龍爪山」のお札を胸に、戦場へむかったものでした。
現在、三島の各集落の龍爪講は、それぞれ十数軒の講仲間により続けられています。今では鉄砲を撃つ人はほとんどおらず、先祖から続いている親睦会となっています。
オフルマイの時にお札が刷られ配られますが、他からお札を求めにくる人はいません。
弾除けのお札が多くの人に求められる時代はもう二度とあってほしくないものです。
(広報みしま 平成11年11月1日号掲載記事)
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