歴史の小箱
(第136号) ~昔の消防団員の心意気を示す~ 消防用頭巾 (平成11年9月1日号)
「火事とケンカは江戸の華」と言われますが、江戸時代の三島宿もまた火災に悩まされたものです草屋根の家が多く、冬の強い西風にあおられると、火はまたたくまに燃え広がり、宿の大半を灰尽に帰すことが何回もありました。
この消火にあたったのが青物会合(青物商鳶【とび】連合会)であったといわれます。明治16年頃(1883)には三島の「み」の字にちなみ「み組青物火消」と称して消火にあたりました。同23年(1890)には新たに公設消防一部・私設消防四部を編成、この頃中郷村・北上村・錦田村も同様の消防組が組織されています。
大正年間(1912~26)には各地域に公設消防組が編成され、これが近代消防組織の基となっています。
写真は明治~昭和初期頃に消防団員が使用した消火作業用の頭巾です。今のヘルメットにあたり、藍染めのぶ厚い布地で作られています。頭頂には真綿がギッチリ詰められ、見た目より重く、倒壊する材木などから頭部を守りました。また顔を炎から守るために、顔を覆うフードがあり、首から肩を保護するフードには二重になっているものもあります。
火災現場では頭巾をかぶり、腹掛け・又引・脚半に半テンをまとい、頭から水をかぶって消火・救出にあたりました。それでも火にあたるとすぐ乾いたといわれます。
郷土資料館が所蔵しているこれらの頭巾の表地は大中島・小中島などの組の印が染められ、フードの裏には纏【まとい】・龍・ぼたんなど華やかな意匠が染め出されています。消火活動は今も昔も危険に満ちていました。その火事場へ飛び込む勇気と度胸をこれらの意匠に示したものでしょうか。
水の豊かであった三島には戦後まで紺屋・染め物屋が何軒もあり、その職人たちが腕をふるって描いたものと想像されます。
(広報みしま 平成11年9月1日号掲載記事)
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